・・・自分は、今この覚え書の内容を大体に亘って、紹介すると共に、二三、原文を引用して、上記の疑問の氷解した喜びを、読者とひとしく味いたいと思う。―― 第一に、記録はその船が「土産の果物くさぐさを積」んでいた事を語っている。だから季節は恐らく秋・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ただ馬琴の作は上記以外自ら謄写したものが二、三種あった。刊本では、『夢想兵衛』と『八犬伝』とがあった。畢竟するに戯作が好きではなかったが、馬琴に限って愛読して筆写の労をさえ惜しまず、『八犬伝』の如き浩澣のものを、さして買書家でもないのに長期・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・これには種の説があって、前後が上記と反対しているのもある。 澄元契約に使者に行った細川の被官の薬師寺与一というのは、一文不通の者であったが、天性正直で、弟の与二とともに無双の勇者で、淀の城に住し、今までも度たびたび手柄を立てた者なので、・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 実際には、監督の人によっては、かなりにルースな方法による人はあるであろうが、原則としてはともかくも上記のごとき有機的に制定された道筋を通らなければ一編の有機的な映画はできるはずはないのである。いわゆる「カフスに書いた覚え書き」によって・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・たとえその描写がどんなに史実的に間違っていても、それが上記のような幻想を起しさえすればそれでこの映画は成効しているであろう。 この映画にはうるさいところやしつっこいところがなくてよい。やはり俳諧のわかるフランス人の作品である。 ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・ ルネ・クレールという作者の意図がどこにあるかはもちろん知るよしもないが、この発声映画は上記のような意味において私に発声映画というものの一つの可能性を教えてくれたものである。この先駆者の道を追って行けば日本語トーキーで世界的なものを作る・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・しかし上記のトーキーに出て来る二つの合唱だけに比べても実になんという貧しさであろう。 これはトーキー作者の問題であると同時に、国民全体の音楽的生活に関する問題でもある。 十六 ある夜の出来事 ゲーブルとコルベール・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 最近にはまた上記のものとは種類のちがった珍しい錯覚を経験した。それはこうである。ベルクナー主演の「女の心」の一場面で食卓の上にすみれの花を満載した容器が置いてある、それをアリアーネが鼻をおっつけて香をかいだりいじり回したりするのである・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・それでもし虻が花の蕊の上にしがみついてそのままに落下すると、虫のために全体の重心がいくらか移動しその結果はいくらかでも上記の反転作用を減ずるようになるであろうと想像される。すなわち虻を伏せやすくなるのである。こんなことは右の句の鑑賞にはたい・・・ 寺田寅彦 「思い出草」
・・・寺石氏はこのジャンの意味の転用に関する上記の説の誤謬を指摘している。また終わりに諏訪湖の神渡りの音響の事を引き、孕のジャンは「何か微妙な地の震動に関したことではあるまいか」と述べておられる。 私は幼時近所の老人からたびたびこれと同様な話・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
出典:青空文庫