・・・ 小宮君も注意したように恋の句、ことに下品の恋の句に一面滑稽味を帯びているのがある。これは芭蕉前後を通じて俳諧道に見らるる特異の現象であろう。これも恋を静観し客観する時に自然にそうなるのであって、滑稽であると同時にあわれであるのである。・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・汁粉であるか煮小豆であるか眼前に髣髴する材料もないのに、あの赤い下品な肉太な字を見ると、京都を稲妻の迅かなる閃きのうちに思い出す。同時に――ああ子規は死んでしまった。糸瓜のごとく干枯びて死んでしまった。――提灯はいまだに暗い軒下にぶらぶらし・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・例えば新聞を拵えてみても、あまり下品な事は書かない方がよいと思いながら、すでに商売であれば販売の形勢から考え営業の成立するくらいには俗衆の御機嫌を取らなければ立ち行かない。要するに職業と名のつく以上は趣味でも徳義でも知識でもすべて一般社会が・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・市気匠気のある絵画がなぜ下品かと云うと、その画面に何らの理想があらわれておらんからである。あるいはあらわれていても浅薄で、狭小で、卑俗で、毫も人生に触れておらんからであります。 私は近頃流行する言語を拝借して、人生に触れておらんと申しま・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・むやみに巾着切りのようにこせこせしたり物珍らしそうにじろじろ人の顔なんどを見るのは下品となっている。ことに婦人なぞは後ろをふりかえって見るのも品が悪いとなっている。指で人をさすなんかは失礼の骨頂だ。習慣がこうであるのにさすが倫敦は世界の勧工・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ 年は四十ばかりで、軽からぬ痘痕があッて、口つき鼻つきは尋常であるが、左の眼蓋に眼張のような疵があり、見たところの下品小柄の男である。 善吉が吉里のもとに通い初めたのは一年ばかり前、ちょうど平田が来初めたころのことである。吉里はとか・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ほらあの、父親のつけた名が下品やとか云うて自分で、何男とやら改名した人や。 金の事になると馬鹿に耳の早いお金がいつの間にか、栄蔵の傍に座って話をきいて居た。「川窪さんでもよくそいだけ出してくれましたねえ、 内所がいいと見・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 私は、その或る時は派手な紅色の、或る時は黒い鍔広の婦人帽の下に、細面の、下品ではないが※四、四円。一月で百二十円! ふうむ」 三月の或る晩、私は従妹や弟と矢張り尾張町の交叉点で電車を降りた。 暫くどっちに行こうと相談した結・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・の由良さんを十倍したほど下品に滑稽で間抜けに見えた。 千世子が歯がゆい様に眉をピクピクさせながら、 貴方、何か好きな事はないの、そうやってたって仕様がないじゃあありませんか。 大伯母さんはそりゃあ案じてなさるのに。な・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・はこうついていて、そこの歩きかたはこうこうという要領や、人間はあまりの真実はかえって嫌う臆病さをもっていること、嘘も方便ということ、労少くして功多きを賢しとするしきたり、それらをみんなわきまえていて、下品に流れず、さりとて実際からそれず、生・・・ 宮本百合子 「ものわかりよさ」
出典:青空文庫