・・・所詮下手は下手なりに句作そのものを楽しむより外に安住する所はないと見える。おらが家の花も咲いたる番茶かな 先輩たる蛇笏君の憫笑を蒙れば幸甚である。 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・札には墨黒々と下手な字で、「一束四銭」と書いてある。あらゆる物価が暴騰した今日、一束四銭と云う葱は滅多にない。この至廉な札を眺めると共に、今まで恋愛と芸術とに酔っていた、お君さんの幸福な心の中には、そこに潜んでいた実生活が、突如としてその惰・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・ジムは僕より身長が高いくせに、絵はずっと下手でした。それでもその絵具をぬると、下手な絵さえがなんだか見ちがえるように美しく見えるのです。僕はいつでもそれを羨しいと思っていました。あんな絵具さえあれば僕だって海の景色を本当に海に見えるように描・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・ ――略して申すのですが、そこへ案内もなく、ずかずかと入って来て、立状にちょっと私を尻目にかけて、炉の左の座についた一人があります――山伏か、隠者か、と思う風采で、ものの鷹揚な、悪く言えば傲慢な、下手が画に描いた、奥州めぐりの水戸の黄門・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・省作はもとから話下手ときてるから、半日並んで仕事をしていてもろくに口もきかないという調子で、今日の稲刈りはたいへんにぎやかであろうと思った反対にすこぶる振るわないのだ。しかし表面にぎやかではないが、おとよさんとおはまの心では、時間の過ぐるも・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・口下手な省作にはもちろん間に合わせことばは出ないから、黙ってしまった。母も省作のおちつかぬはおとよゆえと承知はしているが、わざとその点を避けて遠攻めをやってる。省作がおつねになずみさえすれば、おとよの事は自然忘れるであろうと思いこんで、母は・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・と云ったのでとにかく心まかせにした方がと云って人にたのんで橋をかけてもらい世を渡る事が下手でない聟だと大変よろこび契約の盃事まですんでから此の男の耳の根にある見えるか見えないかほどのできもののきずを見つけていやがり和哥山の祖母の所へ逃げて行・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・「第一、三味線は下手だし、歌もまずいし、ここから聴いていても、ただきゃアきゃア騒いでるばかりだ」「ほんとうは、三味線はきらい、踊りが好きだったの」「じゃア、踊って見るがいい」とは言ったものの、ふと顔を見合わせたら、抱きついてやり・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・殊に江戸文化の爛熟した幕末の富有の町家は大抵文雅風流を衒って下手な発句の一つも捻くり拙い画の一枚も描けば直ぐ得意になって本職を気取るものもあった。その中で左に右く画家として門戸を張るだけの技倆がありながら画名を売るを欲しないで、終に一回の書・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・私設外務大臣で、双方が探り合いのダンマリのようなもんだったから、結局が百日鬘と青隈の公卿悪の目を剥く睨合いの見得で幕となったので、見物人はイイ気持に看惚れただけでよほどな看功者でなければドッチが上手か下手か解らなかった。あアいう型に陥った大・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
出典:青空文庫