・・・蘆の根から這い上がって、其処らへ樹上りをする……性が魚だからね、あまり高くは不可ません。猫柳の枝なぞに、ちょんと留まって澄ましている。人の跫音がするとね、ひっそりと、飛んで隠れるんです……この土手の名物だよ。……劫の経た奴は鳴くとさ」「・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 不気味に凄い、魔の小路だというのに、婦が一人で、湯帰りの捷径を怪んでは不可い。……実はこの小母さんだから通ったのである。 つい、の字なりに畝った小路の、大川へ出口の小さな二階家に、独身で住って、門に周易の看板を出している、小母さん・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・何人もまぬかるることのできない、不可抗的の終焉である。人間はいかにしてその終焉を全うすべきか、人間は必ず泣いて終焉を告げねばならぬものならば、人間は知識のあるだけそれだけ動物におとるわけである。 老病死の解決を叫んで王者の尊を弊履のごと・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ 人間性を信じ、人間に対して絶望をしない私達もいかんともし難い桎梏の前に、これを不可抗の運命とさえ思わなければならなくなってしまった。 しかし、こういうことが、良心あり、一片反抗の意気ある者にとって堪えられようか。私は、これを、いま・・・ 小川未明 「人間否定か社会肯定か」
・・・は底本では判読不可。268-上-8]ことではないか。 話は外れたが、書きにくい会話の中でも、大阪弁ほど書きにくいものはない。大阪に生れ大阪に育って小説を勉強している人でも、大阪弁が満足に書けるとは限らないのだ。平常は冗談口を喋らせる・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・「そいつあ不可んよ君。……」 横井は彼の訪ねて来た腹の底を視透かしたかのように、むずかしい顔をして、その角張った広い顔から外へと跳ねた長い鬚をぐい/\と引張って、飛び出た大きな眼を彼の額に据えた。彼は話題を他へ持って行くほかなかった・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・男女の話声が水口の水の音だとわかっていながら、不可抗的に実体をまとい出す。その実体がまた変に幽霊のような性質のものに思えて来る。いよいよそうなって来ると私はどうでも一度隣の湯を覗いて見てそれを確めないではいられなくなる。それで私はほんとうに・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・「森影暗く月の光を遮った所へ来たと思うと少女は卒然僕に抱きつかんばかりに寄添って『貴様母の言葉を気にして小妹を見捨ては不可ませんよ』と囁き、その手を僕の肩にかけるが早いか僕の左の頬にべたり熱いものが触て一種、花にも優る香が鼻先を掠め・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・いったい病身な児だから余程気をつけないと不可ませんよ」と云いつつ今度は自分の方を向いて、「学校の方はどうだね」「どうも多忙しくって困ります。今日もこれから寄附金のことで出掛けるところでした」「そうかね、私にかまわないでお出かけよ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・このことは卒業後の生活の物質的計画をきわめて困難な、不可能に近いものに考えさせるようになる。物質的清貧の中で精神的仕事に従うというようなことは夢にも考えられなくなる。一口にいえば、学生時代の汚れた快楽の習慣は必ず精神的薄弱を結果するものだ。・・・ 倉田百三 「学生と生活」
出典:青空文庫