・・・創刊第一号から、こんな手違いを起し、不吉きわまりなく、それを思うと泣きたくなります。このごろ、みんな、一オクタアヴくらい調子が変化して居るのにお気附きございませぬか。私は、もとより、私の周囲の者まで、すべて。大阪サロン編輯部、高橋安二郎。太・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・日頃田崎と仲のよくない御飯焚のお悦は、田舎出の迷信家で、顔の色を変えてまで、お狐さまを殺すはお家の為めに不吉である事を説き、田崎は主命の尊さ、御飯焚風情の嘴を入れる処でないと一言の下に排斥して仕舞った。お悦は真赤な頬をふくらし乳母も共々、私・・・ 永井荷風 「狐」
・・・――鏡の表に霧こめて、秋の日の上れども晴れぬ心地なるは不吉の兆なり。曇る鑑の霧を含みて、芙蓉に滴たる音を聴くとき、対える人の身の上に危うき事あり。けきぜんと故なきに響を起して、白き筋の横縦に鏡に浮くとき、その人末期の覚悟せよ。――シャロット・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・夜鴉の城とは名からして不吉であると、ウィリアムは時々考える事がある。然しその夜鴉の城へ、彼は小児の時度々遊びに行った事がある。小児の時のみではない成人してからも始終訪問れた。クララの居る所なら海の底でも行かずにはいられぬ。彼はつい近頃まで夜・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・百年碧血の恨が凝って化鳥の姿となって長くこの不吉な地を守るような心地がする。吹く風に楡の木がざわざわと動く。見ると枝の上にも烏がいる。しばらくするとまた一羽飛んでくる。どこから来たか分らぬ。傍に七つばかりの男の子を連れた若い女が立って烏を眺・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ そう云われる度びに恭二は、何とも知れず肩のあたりが寒くなって、この不具者について不吉な事ばかりが想像された。 何故と云う事もなく、只直覚的にそう思われるのでそれだけ余計、恭二にはうす気味が悪かった。 まさか「お死になさるな」と・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・或る人は、不吉な空想を逞しゅうするという不快さえ感じるかもしれません。然し、今、静かに、厳しい内省を自分自身に加える時、私はこれ等のことごとを畏怖なしに考えることは出来ません。 厳粛な一つのこととして、真剣に成って省察せずにはいられない・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・という形が考えられているうちは、たとえそれが部分的にかなりゆきとどいた方式でされようとも、世界人類の頭上を不吉なはげたかのように舞っている不幸の本質がとりのぞかれることにはならない。その「救済」さえ日本ではなげすてられている。戦争によってひ・・・ 宮本百合子 「『この果てに君ある如く』の選後に」
・・・ わしのいつもの頭は今日よりは賢くてあった筈じゃが今日はどこの隅をせせっても、あやまれ と不吉な声で申すより考えが顔を出さぬのじゃ。あやまれ と申すのじゃ、法王に―― わしの生れて初めてきいた言葉、今・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・ 自分達の周囲には、不幸なものや、恐ろしい目に幾度も幾度も出喰わさなければならなかったものが、ウジャウジャ居るにもかかわらず、此の自分達は選りに選った様に、たった一度の不吉な事にも恐ろしい事にも出会う事なしに過ぎて来たのだと云うことは、・・・ 宮本百合子 「一条の繩」
出典:青空文庫