・・・というと、不思議にも言い中てられたので、「ハハハ、その通りその通り。」と主人は爽やかに笑った。が、その笑声の終らぬ中に、客はフト気中りがして、鵞鳥が鋳損じられた場合を思った。デ、好い図ですネ、と既に言おうとしたのを呑んでしまった・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・然し母親は、駐在所の旦那が云っているように、あんな恐ろしいことをした息子の面倒を見てくれるという不思議な人も世の中にはいるもんだと思って、何んだか訳が分らなかった。然しそれでも帰るときには何べんも何べんもお辞儀した。――お安は長い間その人か・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・ことしもと、それを楽しみにしているところへこの陽気だった。不思議にも、ことしにかぎって、夏らしい短か夜の感じが殆んどわたしに起って来ない。好い風の来る夕方もすくなく、露の涼しい朝もすくなければ、暁から鳴く蝉の声、早朝からはじまるラジオ体操の・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・一方には音もなくどこか不思議な底の方から出て来るような河がある。一方には果もない雪の原がある。男等の一人で、足の長い、髯の褐色なのが、重くろしい靴を上げて材木をこづいた。鴉のやはり動かずに止まっていた材木である。鴉は羽ばたきもせず、頭も上げ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ その羽根はほんとうに不思議な羽根でした。一本々々見ると、みんな同じように金色に光っているのですが、三本一しょにならべると、女の顔を画いた一まいの画になるのでした。それこそ、この世界中で一ばん美しい女ではないかと思われるような、何ともい・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・それがまた不思議ね。それから生れた女の子の名付親に、お前さんをしたのね。その時わたしがあの人に無理に頼んで、お前さんにキスをさせたのね。あの人はこうなれば為方がないという風でキスをする。その時のお前さんの様子ってなかったわ。まあ、度を失った・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・――人の心臓であったら出血のために動かなくなってしまうほどたくさん針が布をさし通して、一縫いごとに糸をしめてゆきます――不思議な。「ママ今日私は村に行って太陽が見たい、ここは暗いんですもの」 とその小さな子が申しました。「昼過ぎ・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・けれども、いまの解析の本すべてが、不思議に、言い合せたように、平気でドイツ式一方である。伝統というものは、何か宗教心をさえ起させるらしい。数学界にも、そろそろこの宗教心がはいりこんで来ている。これは、絶対に排撃しなければならない。老博士は、・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・それから先きへ先きへと、東の方へ向けて、不思議の国へ行くのである。 さて到る処で紹介状を出すと、どこでも非常に厚く待遇する。いかに自分の勤めている銀行が大銀行だとしても、その中のいてもいなくても好い役人の受くべき待遇ではない。そこでチル・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・と、今日は不思議にも平生の様に反抗とか犠牲とかいう念は起こらずに、恐怖の念が盛んに燃えた。出発の時、この身は国に捧げ君に捧げて遺憾がないと誓った。再びは帰ってくる気はないと、村の学校で雄々しい演説をした。当時は元気旺盛、身体壮健であった。で・・・ 田山花袋 「一兵卒」
出典:青空文庫