・・・月もなく、日もなく、樹もなく、草もなく、路もない、雲に似て踏みごたえがあって、雪に似て冷からず、朧夜かと思えば暗く、東雲かと見れば陰々たる中に、煙草盆、枕、火鉢、炬燵櫓の形など左右、二列びに、不揃いに、沢庵の樽もあり、石臼もあり、俎板あり、・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 見渡したところ、郊外の家の屋根屋根は、不揃いだと思わないか。君はきっと、銀座か新宿のデパアトの屋上庭園の木柵によりかかり、頬杖ついて、巷の百万の屋根屋根をぼんやり見おろしたことがあるにちがいない。巷の百万の屋根屋根は、皆々、同じ大きさ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ 明治座前で停ると少女は果して降りて行く、そのあとから自分も降りながら背後から見ると、束ねた断髪の先端が不揃いに鼠でも齧ったような形になっているのが妙に眼について印象に残った。少女は脇目もふらずにゆっくり楽屋口の方へ歩いて行く。やはりそ・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・ 三 この二三年らい日本のあらゆる事情が激変しているが、特に昨今は物価の乱調子な気ぜわしない上り下りや様々の必需品の不揃い不安定な状態も、切実に生活感情のうちにそのかげをうつしているのだと思う。乾物屋が店の・・・ 宮本百合子 「今日の読者の性格」
・・・の中には、非常に素質の豊富な、しかしながらそれらの素質はきわめて自然発生的に、経験的にだけ成長しているために、不揃いな発展をとげている一女性の姿が見えているのであるが、ここに更にもう一つの興味ふかい教訓が含まれている。それは、アメリカの女で・・・ 宮本百合子 「中国に於ける二人のアメリカ婦人」
・・・むき出しな頭で片手にプログラムの束を抱えそうやって叫んでいる女もその他の通行人も馬車の上から見るとみんな宵のくちの濃い陰翳と不揃いなともしびの中にあって、一つ一つの目鼻だちは見分けられない。 日本女はいつもは踵の低い茶色の靴をはいてトゥ・・・ 宮本百合子 「モスクワの辻馬車」
・・・この手紙の慌てたような、不揃いな行を見れば見る程、どうも自分は死にかかっている人の所へ行くのではないかと思うような気がする。そこで気分はいよいよ悪くなる。弟は自分より七年後に、晩年の父が生ませた子である。元から余り気に入らない。なんだか病身・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫