・・・ ドリスは可哀らしい情婦としてはこの上のない女である。不機嫌な時がない。反抗しない。それに好い女と云う意味から云えば、どの女だってドリスより好く見えようがない。人を悩殺する媚がある。凡て盛りの短い生物には、生活に対する飢渇があるものだが・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・と云って、そうして何故かひどく不機嫌であったそうで、使いの者はほうほうの体で帰って来た。 それからまた元の百貨店へ持って行くと、やがて、完全になったと云って返して来る。やってみると、あいかわらずちっとも聞こえない。 この事柄の理由は・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・いつも不機嫌でいかつくそびえている煉瓦塀、埃りでしろくなっている塀ぞいのポプラー――。 みんなよごれて、かわいて、たいくつであった。やがて時計台の下で電気ベルが鳴りだすと、とたんにどの建物からも職工たちがはじけでてくる。守衛はまだ門をひ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・デストゥパーゴはちょっと首をまげて考えました。どうもわたくしのことを見たことはあるが考え出せないという風でした。するとそばへ一人の夏フロックコートを着た男が行って何か耳うちしました。デストゥパーゴは不機嫌そうな一べつをわたくしに与えてから仕・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・すると、やっぱりこの若い、党員である車掌は珍しく不機嫌に、答えた。 ――知らないです。 車掌は七十五ルーブリの月給を貰っている。СССРで勤労者は多くの権利をもち、例えば解雇するにも、工場で作業縮小の場合一ヵ月の内三日理由なく休んだ・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・ 空が荒模様になり、不機嫌な風がザワザワ葉を鳴らし出すと、私の内にある未開な原始的な何ものかが不可抗の力で呼びさまされる。凝っと机について知らぬ振などしていられない。私はきっと梢の見えるところまで出かけ、空を眺め、風に吹かれ、痛快なおど・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・と云い乍ら、驚き、不機嫌な男の手を、ぐんぐんと引張って居るのである。 相手は、暫く呆然とされるままになって居たが、やがてはっきり「いやです」と云った。それでも、気の違って居る人は承知しない。猶も執念くつきまとう。終に、男は実・・・ 宮本百合子 「或日」
・・・ 列車は、婆さんが鼠色のコートにくるまって不機嫌で愚かな何かの怪のように更に遠く辿って行くだろう疎林の小径を右に見て走った。〔一九二七年十二月〕 宮本百合子 「一隅」
・・・彼女は不機嫌であった。いつも来る毎に水がうまく出ないから腹を立てるのであった。「――今度は私がその何とか云う男にじかに会ってみっちり言ってやる。いくら計算は計算でも水が出なけりゃ迷惑をするのは私達ばかりだ」 編物をしながら、上の娘の・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・声が千切れてとぶほどの勢で自動車はその上を走り、行手も、来た方も不機嫌な灰色の空があるばかりである。 数露里行ったところで、はじめて一台の韃靼人の荷馬車をビュッと追い抜いた。幅のせまい、濃い緑、赤黄などで彩色した轎型の轅の間へ耳の立った・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
出典:青空文庫