・・・ どこか、金持ちで、なに不自由なく暮らされて、娘をかわいがってくれるような人のところへやりたいものだと考えていました。 すると、あるとき、旅からわざわざ使いにやってきたものだといって、男が、たずねてきました。そして、どうか、娘さんを・・・ 小川未明 「海ぼたる」
・・・ それより三世、即ち彼の祖父に至る間は相当の資産をもち、商を営み農を兼ね些かの不自由もなく安楽に世を渡って来たが、彼の父新助の代となるや、時勢の変遷に遭遇し、種々の業を営んだが、事ごとに志と違い、徐々に産を失うて、一男七子が相続いで生れ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・「いや脚が少し不自由なだけで、ほかはなかなか元気のようですよ。朝からさっそく飲んでましたがね、ようやく寝たもんですから……」「なんにしても思いきって出てきてよかったよ。ああして一人でいたってしようがないんだからね。そうかといって僕ら・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・そんな不自由さが――そして狭さから来る親しさが、彼らを互いに近づけることが多い。彼らもどうやらそうした二人らしいのであった。 一人の青年はビールの酔いを肩先にあらわしながら、コップの尻でよごれた卓子にかまわず肱を立てて、先ほどからほとん・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・山にも野にも林にも谷にも海にも川にも、僕は不自由をしなかったのである。 ところが十二の時と記憶する、徳二郎という下男がある日、僕に今夜おもしろい所につれてゆくが行かぬかと誘うた。「どこだ。」と僕はたずねた。「どこだと聞かっしゃる・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・ ハルトマンはこれらのものから自由を証明できないが、不自由は一層証明し難い、というのみである。 詮ずるところ、われわれは決定論によっても、非決定論によっても、自由の満足なる説明を今のところ見出し得ない。この倫理学上の根本問題は謎とし・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・歩ける嬉しさ、坐れる嬉しさ、自然に接しられる嬉しさは、そのいずれも叶わぬ不自由な境涯に落ちて一そうはっきりと私に分るようになった。もう今では崖の下の海で、晴れ間を見て子供たちが海水浴を始めている。海の中へつき出た巌の上に立っている宿屋では、・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・数しばしば社参する中に、修験者らから神怪幻詭の偉い談などを聞かされて、身に浸みたのであろう、長ずるに及んで何不自由なき大名の身でありながら、葷腥を遠ざけて滋味を食わず、身を持する謹厳で、超人間の境界を得たい望に現世の欲楽を取ることを敢てしな・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・私はいろいろな人の手に子供らを託してみ、いろいろな場所にも置いてみたが、結局父としての自分が進んでめんどうをみるよりほかに、母親のない子供らをどうすることもできないのを見いだした。不自由な男の手一つでも、どうにかわが子の養えないことはあるま・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・「こんな不自由な島ですから、ああはおっしゃってもとうとお出でくださらないのかもしれないと申しまして、しまいにはみんなで気を落していましたのでございますよ」と、懐かしそうに言うのである。自分は狐にでもつままれたようであった。丘の上の一つ家・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫