・・・「成経様は御年若でもあり、父君の御不運を御思いになっては、御歎きなさるのもごもっともです。」「何、少将はおれと同様、天下はどうなってもかまわぬ男じゃ。あの男は琵琶でも掻き鳴らしたり、桜の花でも眺めたり、上臈に恋歌でもつけていれば、そ・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・こういう国に二葉亭の生れたのは不運だった。 小説家としても『浮雲』は時勢に先んじ過ぎていた。相当に売れもし評判にもなったが半ばは合著の名を仮した春廼舎の声望に由るので、二葉亭としては余りありがたくもなかった。数ある批評のどれもが感服しな・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・たといわれわれがイクラやりそこなってもイクラ不運にあっても、そのときに力を回復して、われわれの事業を捨ててはならぬ、勇気を起してふたたびそれに取りかからなければならぬ、という心を起してくれたことについて、カーライルは非常な遺物を遺してくれた・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・と、からすは身の不運を歎きました。 かもめは、都では、はとがみんなにかわいがられて、子供らから豆をもらって、平和にその日を遊び暮らしていることを話しました。「どうしてほかの鳥は、みんなそう幸福なのでしょう。」と、からすはうらやみまし・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・在来のこの種の歌の中で、身の不運を嘆いたり、生のたよりなさを訴たりする者があっても、それは単純なリリシズムの繰り返しにしか過ぎなかった。そしてそれによって、その時代をうかがう事が出来ても、それらの詩には、それ以外の目的を見出すことが出来ない・・・ 小川未明 「詩の精神は移動す」
・・・ 泣けもせずキョトンとしているのを引き取ってくれた彦根の伯父が、お前のように耳の肉のうすい女は総じて不運になりやすいものだといったその言葉を、登勢は素直にうなずいて、この時からもう自分のゆくすえというものをいつどんな場合にもあらかじめ諦・・・ 織田作之助 「螢」
・・・と自分でも、おや、と思ったほど叮嚀な言葉が出てしまって、見こまれたのが、不運なのだという無力な、だるい諦めも感ぜられ、いまは仕方なく立ち上り、無理な微笑さえ浮べて縁側に出たのである。私も、いやらしく弱くて、人を、とがめることが出来ないのであ・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・じっと堪えて、おのれの不運に溜息ついているだけなのである。しかも、注射代などけっして安いものではなく、そのような余分の貯えは失礼ながら友人にあるはずもなく、いずれは苦しい算段をしたにちがいないので、とにかくこれは、ひどい災難である。大災難で・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・わが生涯の情熱すべてこの一巻に収め得たぞ、と、ほっと溜息もらすまも無し、罰だ、罰だ、神の罰か、市民の罰か、困難不運、愛憎転変、かの黄金の冠を誰知るまいとこっそりかぶって鏡にむかい、にっとひとりで笑っただけの罪、けれども神はゆるさなかった。君・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・女のひとを電車の中で見たことがあって、それからは、電車の吊革につかまるのさえ不潔で、うつりはせぬかと気味わるく思っていたのですが、いまは私が、そのいつかの女のひとの手と同じ工合になってしまって、「身の不運」という俗な言葉が、このときほど骨身・・・ 太宰治 「皮膚と心」
出典:青空文庫