・・・斬りつ斬られつした両人も、死は一切の恩怨を消してしまって谷一重のさし向い、安らかに眠っている。今日の我らが人情の眼から見れば、松陰はもとより醇乎として醇なる志士の典型、井伊も幕末の重荷を背負って立った剛骨の好男児、朝に立ち野に分れて斬るの殺・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・そこで今度は二人してまた東西南北を馳け廻った揚句の果やはりチェイン・ローが善いという事になった。両人がここに引き越したのは千八百三十四年の六月十日で、引越の途中に下女の持っていたカナリヤが籠の中で囀ったという事まで知れている。夫人がこの家を・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・然自然ところがすべく特にこの地を相し得て余を連れだしたのである、 人の通らない馬車のかよわない時機を見計ったる監督官はさあ今だ早く乗りたまえという、ただしこの乗るという字に註釈が入る、この字は吾ら両人の間にはいまだ普通の意味に用られてい・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・もっともこれは創作の低気圧のためであったけれども、来客謝絶は表向き双方同じ事なんだから、この看板を引き下ろさせるだけの縁故も親しみもない両人は、それきり面談をする機会がなかった。 ところがある日の午後湯に行った。着物を脱いで、流しへ這入・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・ところが細君は恐悦の余り、夜会の当夜、踊ったり跳ねたり、飛んだり、笑ったり、したあげくの果、とうとう貴重な借物をどこかへ振り落してしまいました。両人は蒼くなって、あまり跳ね過ぎたなと勘づいたが、これより以後跳方を倹約しても金剛石が出る訳でも・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・左の手にはこれも我輩のシートを渋紙包にして抱えている。両人とも両手が塞がっている。とんだ道行だ。角まで出て鉄道馬車に乗る。ケニングトンまで二銭宛だ。レデーは私が払っておきますといって黒い皮の蟇口から一ペネー出して切符売に渡した。乗合は少ない・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・髪の色、眼の色、さては眉根鼻付から衣装の末に至るまで両人共ほとんど同じように見えるのは兄弟だからであろう。 兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。「我が眼の前に、わが死ぬべき折の様を想い見る人こそ幸あれ。日毎夜毎に死なんと願え・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・或るとき家の諸道具を片付けて持出すゆえ、母が之を見て其次第を嫁に尋ぬれば、今日は転宅なりと言うにぞ、老人の驚き一方ならず、此人はまだ極老に非ず、心身共に達者にして能く事を弁ずれども、夫婦両人は常に老人をうるさく思い、朝夕の万事互に英語を以て・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・辰之助長谷川静子殿長谷川柳子殿 遺族善後策これは遺言ではなけれど余死したる跡にて家族の者差当り自分の処分に迷うべし仍て余の意見を左に記す一 玄太郎せつの両人は即時学校をやめ奉公に出ずべし一・・・ 二葉亭四迷 「遺言状・遺族善後策」
今からもう二十一二年昔、築地の方に、Sと云う女学校がありました。その女学校の一年の組に、政子さんと芳子さんと云う生徒が居りました。私はこれから此の両人と、両人のお友達だった友子さんと云う人との間にあった事を皆さんに聞いて戴・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
出典:青空文庫