・・・そこにはすでに二年前から、延べの金の両端を抱かせた、約婚の指環が嵌っている。「じゃ今夜買って頂戴。」 女は咄嗟に指環を抜くと、ビルと一しょに彼の前へ投げた。「これは護身用の指環なのよ。」 カッフェの外のアスファルトには、涼し・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・ 自由意志と宿命とに関らず、神と悪魔、美と醜、勇敢と怯懦、理性と信仰、――その他あらゆる天秤の両端にはこう云う態度をとるべきである。古人はこの態度を中庸と呼んだ。中庸とは英吉利語の good sense である。わたしの信ずるところによ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
一「杢さん、これ、何?……」 と小児が訊くと、真赤な鼻の頭を撫でて、「綺麗な衣服だよう。」 これはまた余りに情ない。町内の杢若どのは、古筵の両端へ、笹の葉ぐるみ青竹を立てて、縄を渡したのに、・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
一 このもの語の起った土地は、清きと、美しきと、二筋の大川、市の両端を流れ、真中央に城の天守なお高く聳え、森黒く、濠蒼く、国境の山岳は重畳として、湖を包み、海に沿い、橋と、坂と、辻の柳、甍の浪の町を抱い・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
夏の昼過ぎでありました。三郎は友だちといっしょに往来の上で遊んでいました。するとそこへ、どこからやってきたものか、一人のじいさんのあめ売りが、天秤棒の両端に二つの箱を下げてチャルメラを吹いて通りかかりました。いままで遊びに気をとられて・・・ 小川未明 「空色の着物をきた子供」
・・・細面だが額は広く、鼻筋は通り、笑うと薄い唇の両端が窪み、耳の肉は透きとおるように薄かった。睫毛の長い眼は青味勝ちに澄んで底光り、無口な女であった。 高等学校の万年三年生の私は、一眼見て静子を純潔で知的な女だと思い込み、ランボオの詩集やニ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・唇の両端のつりあがった瞳の顔から推して、こんなに落ちぶれてしまっては、もはや嫌われるのは当り前だとしょんぼり諦めかけたところ、女心はわからぬものだ。坂田はんをこんな落目にさせたのは、もとはといえば皆わてからやと、かえって同情してくれて、そし・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・唾液をとばしている様子で、褪めた唇の両端に白く唾がたまっていた。「なんて言ったの」姉がこんなに訊いた。すると隣のよその人も彼の顔を見た。彼は閉口してしまった。 印度人は席へ下りて立会人を物色している。一人の男が腕をつかまれたまま、危・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・そして、緒の両端を持って引っぱるとそれが延びて、他人のと同じようになるだろうと思って、しきりに引っぱっているのだった。彼は牛の番をしながら、中央の柱に緒をかけ、その両端を握って、緒よ延びよとばかり引っぱった。牛は彼の背後をくるくる廻った。・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・この矛盾は残る。つまり私は一方にはある意味での宗教を観ているとともに、一方はきわめて散文的な、方便的な人生を観ている。この両端にさまよって、不定不安の生を営みながら、自分でも不満足だらけで過ごして行く。 この点から考えると、世の一人生観・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
出典:青空文庫