・・・吾々も過去を顧みて見ると中学時代とか大学時代とか皆特別の名のつく時代でその時代時代の意識が纏っております。日本人総体の集合意識は過去四五年前には日露戦争の意識だけになりきっておりました。その後日英同盟の意識で占領された時代もあります。かく推・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・君と余とは中学時代以来の親友である、殊に今度は同じ悲を抱きながら、久し振りにて相見たのである、単にいつもの旧友に逢うという心持のみではなかった。しかるに手紙にては互に相慰め、慰められていながら、面と相向うては何の語も出ず、ただ軽く弔辞を交換・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・明治の維新後県立の中学に変わった。その時分には県下に二つしか中学がなかったので、その中学もすばらしく大きい校舎と、兵営のような寄宿舎とを持つほど膨張した。 中学は山の中にあった。運動場は代々木の練兵場ほど広くて、一方は県社○○○神社に続・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ 京都の学校は明治二年より基を開きしものにて、目今、中学校と名る者四所、小学校と名るもの六十四所あり。 市中を六十四区に分て学校の区分となせしは、かの西洋にていわゆるスクールヂストリックトならん。この一区に一所の小学校を設け、区内の・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・東京大学予備門は後の第一高等中学校にして今の第一高等学校なり。明治十八、九年来の記憶に拠れば予備門または高等中学は時々工部大学、駒場農学と仕合いたることあり。また新橋組と工部と仕合いたることもありしか。その後青山英和学校も仕合に出掛けたるこ・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・ 私はすっかり感心しました、この調子ではこの学校は、よほど程度が高いにちがいない、事によると狐の方では、学校は小学校と大学校の二つきりで、或はこの茨海小学校は、中学五年程度まで教えるんじゃないかと気がつきましたので、急いでたずねました。・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・ 高等小学上級生、中学初級生が、予科練へ送りこまれて行ったあの列伍の姿を忘れることが出来ず、彼等をむざむざ殺した者たちのきょうの安泰について許すことが出来にくい。生命の否定・人格無視・人種間の偏見を根幹とした軍事権力の支配とその教育のも・・・ 宮本百合子 「生きつつある自意識」
・・・を書いて、職工に工場主の家を襲撃させた。Wedekind は「春の目ざめ」を書いて、中学生徒に私通をさせた。どれもどれも危険この上もない。 パアシイ族の虐殺者が洋書を危険だとしたのは、ざっとこんな工合である。 * ・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・このような談笑の話と、先日高田が来たときの話とを綜合してみた彼の経歴は、二十一歳の青年にしては複雑であった。中学は首席で柔道は初段、数学の検定を四年のときにとった彼は、すぐまた一高の理科に入学した。二年のとき数学上の意見の違いで教師と争い退・・・ 横光利一 「微笑」
・・・小学中学で教え込まれた忠君愛国は、忠君即愛国、君即国であったが、なぜそれが同一になるかについて理解し得なかった。それは皇室や国家をただ現実的にのみ見ていたからである。しかし皇室の権威はただ現実的な根拠からのみ出るのではない。神話時代には天皇・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫