なかえうしきち【中江丑吉】
[1889〜1942]中国学者。大阪の生まれ。兆民の長男。北京に在住約30年。中国古代思想史などを研究。著「中国古代政治思想」など。
なかえちょうみん【中江兆民】
[1847〜1901]思想家。土佐の人。名は篤介 (とくすけ) 。フランスに留学し、帰国後仏学塾を開設。「東洋自由新聞」を創刊し、主筆として明治政府を攻撃し、自由民権運動の理論的指導者となった。ルソーの「民約論」を翻訳。著「三酔人経綸問答」「一年有半」など。
なかえとうじゅ【中江藤樹】
[1608〜1648]江戸前期の儒学者。近江 (おうみ) の人。名は原。字 (あざな) は惟命。日本陽明学派の祖。初め朱子学を修め、のち、陽明学を首唱して近江聖人とよばれた。熊沢蕃山・淵岡山 (ふちこうざん) はその高弟。著「鑑草」「翁問答」など。