・・・に、縦横に霜を置いたのが、天心の月に咲いた青い珊瑚珠のように見えて、その中から、瑪瑙の桟に似て、長く水面を遥に渡るのは別館の長廊下で、棟に欄干を繞した月の色と、露の光をうけるための台のような建ものが、中空にも立てば、水にも映る。そこに鎖した・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
瑠璃色に澄んだ中空の樹の間から、竜が円い口を張開いたような、釣鐘の影の裡で、密と、美麗な婦の――人妻の――写真を視た時に、樹島は血が冷えるように悚然とした。…… 山の根から湧いて流るる、ちょろちょろ水が、ちょうどここで・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・正面とは違い、場末のこの辺は、麓の迫る裾になり、遠山は波濤のごとく累っても、奥は時雨の濃い雲の、次第に霧に薄くなって、眉は迫った、すすき尾花の山の端は、巨きな猪の横に寝た態に似た、その猪の鼻と言おう、中空に抽出た、牙の白いのは湖である。丘を・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 茶めし餡掛、一品料理、一番高い中空の赤行燈は、牛鍋の看板で、一山三銭二銭に鬻ぐ。蜜柑、林檎の水菓子屋が負けじと立てた高張も、人の目に着く手術であろう。 古靴屋の手に靴は穿かぬが、外套を売る女の、釦きらきらと羅紗の筒袖。小間物店の若・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・どれも赤い柱、白い壁が、十五間間口、十間間口、八間間口、大きなという字をさながらに、湯煙の薄い胡粉でぼかして、月影に浮いていて、甍の露も紫に凝るばかり、中空に冴えた月ながら、気の暖かさに朧である。そして裏に立つ山に湧き、処々に透く細い町に霧・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・磴たるや、山賊の構えた巌の砦の火見の階子と云ってもいい、縦横町条の家ごとの屋根、辻の柳、遠近の森に隠顕しても、十町三方、城下を往来の人々が目を欹れば皆見える、見たその容子は、中空の手摺にかけた色小袖に外套の熊蝉が留ったにそのままだろう。・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・名も知らぬ海鳥が悲しく鳴いて中空に乱れて飛んでいました。爺と子供の二人は、ガタガタと寒さに体を震わして岩の上に立っていますと、足先まで大波が押し寄せてきて、赤くなった子供の指を浸しています。二人は空腹と疲労のために、もはや一歩も動くことがで・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・やがて夜になると、輪郭の滲んだ満月が中空に浮び、洞庭湖はただ白く茫として空と水の境が無く、岸の平沙は昼のように明るく柳の枝は湖水の靄を含んで重く垂れ、遠くに見える桃畑の万朶の花は霰に似て、微風が時折、天地の溜息の如く通過し、いかにも静かな春・・・ 太宰治 「竹青」
・・・私は流星の話をすると同時に、熱心な流星観測者が夜中空を見張っている話をして、それからいわゆる新星の発見に関する話もして聞かせた。主だった星座を暗記していれば素人でも新星を発見し得る機会はあるという事も話した。 一秒時間に十八万六千マイル・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・打出されたところは昔呉竹の根岸の里今は煤だらけの東北本線の中空である。 高架線路から見おろした三河島は不思議な世界である。東京にこんなところがあったかと思うような別天地である。日本中にも世界中にもこれに似たところはないであろう。慰めのな・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
出典:青空文庫