・・・それ等がたよりで、隠居仕事の寮番という処を、時流に乗って、丸の内辺の某倶楽部を預って暮したが、震災のために、立寄ったその樹の蔭を失って、のちに古女房と二人、京橋三十間堀裏のバラック建のアパアトの小使、兼番人で佗しく住んだ。身辺の寒さ寂しさよ・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 先ほどの女の子らしい声が峻の足の下で次つぎに高く響いた。丸の内の街道を通ってゆくらしい自動自転車の爆音がきこえていた。 この町のある医者がそれに乗って帰って来る時刻であった。その爆音を聞くと峻の家の近所にいる女の子は我勝ちに「ハリ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・たゞ丸の内に聳えているMのビルディング――彼はそのビルディングを見てきていた――を肥やしてやるばっかしだ。この山の中の真ッ暗の土の底で彼等が働いている。彼等が上鉱を掘り出す程、肥って行くのは、自動車を乗りまわしたり、ゴルフに夢中になっている・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・ 山田勇吉君という人は、そのころ丸の内の或る保険会社に勤めていたようである。やはり私たちと大学が同期であって、誰よりも気が弱く、私たちはいつもこの人の煙草ばかりを吸っていた。そうしてこの人は、大隅君の博識に無条件に心服し、何かと大隅君の・・・ 太宰治 「佳日」
・・・その暗い丸の内の闇の中のところどころに高くそびえたアーク燈が燦爛たる紫色の光を出してまたたいていたような気がする。そのころすでにそんなものがあったかどうか事実はわからないが、自分の記憶の映画にはそういうことになっているのである。 この銀・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・しかしその次の瞬間に電車は進んで、私は丸の内「時事新報」社の前を通っている私を発見したのであった。 宅に近い盛り場にあるある店の看板は、人がよく「ボンラクサ」と読んでなんのことだろうと思うそうである。丸の内の「グンデルビ上海」の類である・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・ 二 夜、丸の内の淋しい町を歩いていたとき、子供を負ぶった見窄らしい中年の男に亀井戸玉の井までの道を聞かれ、それが電車でなく徒歩で行くのだと聞いて不審をいだき、同情してみたり、また嘘つきのかたりではないかと疑・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・朝よく晴れていた空は、いつの間にかすっかり曇って、湿りを帯びた弱い南の風が吹いていた。丸の内の方の空にあたって、時々花火が上がっているので、上がる度に気を付けて見ていた。ちょうど中橋広小路の辺へ来た時に、上がったのは、いつものただの簡単な昼・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ そう考えて来ると、第一この男が丸の内仲通りを歩いていて、しかもそこで亀井戸への道を聞くということが少し解しにくいことに思われて来る。こういう男がこの界隈のビルディング街の住民であろうとは思われない。いずれ芝か麻布へんから来たものとすれ・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・ しかし現に丸の内の元警視庁跡に建築されることになっている第一相互の新館は地下六十尺に基礎をすえ、地下室が四階になるはずだそうで、いわば私の夢の一端がすでに実現されかけたように見える。もしも丸の内の他の建物もだんだんに地底の第三紀層の堅・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
出典:青空文庫