・・・けれども、むざんのことには、笠井さん、あまりの久しい卑屈に依り、自身の言葉を忘れてしまった。叫びの声が、出ないのである。走ってみようか。殺されたって、いい。人は、なぜ生きていなければ、ならないのか。そんな素朴の命題も、ふいと思い出されて、い・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・この問題にも彼は久しい前から手を付けている。今後彼がこれをどう取り扱うかが何よりの見ものであろう。エジントンの云うところを聞くと、一般相対原理はほとんどすべてのものから絶対性を剥奪した。すべては観測者の尺度による。ただ一つ残されたものが「作・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 竹村君がこのまじょりか皿を買おうと思い立ったのは久しい前の事である。いつか同郷の先輩の書斎で美しい絵のついた長方形の浅いペン皿を見た事がある。その時これがまじょりかといって安くないものだと教えられた。その後この文房具店で同じような色々・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・「この家も久しいもんだね。また取り戻したんだね」「え、取り戻したというわけじゃないけれど、お母さんが長くつかっていた処ですから」 庭も、庭の向うに見える縄簾のかかった厠も、その上に見える離房の二階も、昔のままであった。十年も前に・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・私は屋敷中で一番早く夜になるのは、古井戸のある彼の崖下……否、夜は古井戸の其底から湧出るのではないかと云う感じが、久しい後まで私の心を去らなかった。 私は小学校へ行くほどの年齢になっても、伝通院の縁日で、からくりの画看板に見る皿屋敷のお・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ 何如璋は、明治十年頃から久しい間東京に駐剳していた清国の公使であった。 葉松石は同じころ、最初の外国語学校教授に招聘せられた人で、一度帰国した後、再び来遊して、大阪で病死した。遺稿『煮薬漫抄』の初めに詩人小野湖山のつくった略伝が載・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・ 数年前まで、自分が日本を去るまで、水の深川は久しい間、あらゆる自分の趣味、恍惚、悲しみ、悦びの感激を満足させてくれた処であった。電車はまだ布設されていなかったが既にその頃から、東京市街の美観は散々に破壊されていた中で、河を越した彼の場・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・いつが起りということもなくもう久しい以前からそうなって畢った。彼は六十を越しても三四十代のもの、特に二十代のものとのみ交って居た。彼の年輩のものは却て彼の相手ではない。彼は村には二人とない不男である。彼は幼少の時激烈なる疱瘡に罹った。身体一・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・私はと云って挨拶をした時老師はいやまるで御見逸れ申しましたと、改めて久濶を叙したあとで、久しい事になりますな、もうかれこれ二十年になりますからなどと云った。けれどもその二十年後の今、自分の眼の前に現れた小作りな老師は、二十年前と大して変って・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・これはよほど前私がまだ書生時代の事で、明治二十何年になりますか、何でもよほど久しい事のように記憶しております。実を言うと今登った高原君、あれは私が高等学校で教えていた時分の御弟子であります。ああいう立派なお弟子を持っているくらいでありますか・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
出典:青空文庫