・・・の特別号に載せる小説だった。しかも原稿の締切りはあしたの朝に迫っていた。自分は気乗のしないのを、無理にペンだけ動かしつづけた。けれども多加志の泣き声はとかく神経にさわり勝ちだった。のみならず多加志が泣きやんだと思うと、今度は二つ年上の比呂志・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・おまけにあの女を乗せる事は、おれのほかに誰も頼まなかった。――おれはそう思うたら、今でも不思議な気がするくらい、ありとあらゆる罵詈讒謗が、口を衝いて溢れて来た。もっともおれの使ったのは、京童の云う悪口ではない。八万法蔵十二部経中の悪鬼羅刹の・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・あるいは僕だけ馬車へ乗せるのを危険にでも思ったためかもしれない。けれども青い幌を張った、玩具よりもわずかに大きい馬車が小刻みにことこと歩いているのは幼目にもハイカラに見えたものである。 一六 水屋 そのころはまた本所・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・まだ文芸倶楽部は出来ない時分で、原稿を持って行って買ってもらおうというに所はなく、新聞は戦争に逐われて文学なぞを載せる余裕はない。いわゆる文壇餓殍ありで、惨憺極る有様であったが、この時に当って春陽堂は鉄道小説、一名探偵小説を出して、一面飢え・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・来るから、続けてその翌晩も聞きに行って、汚い弟子が古浴衣の膝切な奴を、胸の処でだらりとした拳固の矢蔵、片手をぬい、と出し、人の顋をしゃくうような手つきで、銭を強請る、爪の黒い掌へ持っていただけの小遣を載せると、目をみはったが、黄色い歯でニヤ・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 判事に浮世ばなしを促されたのを機にお幾はふと針の手を留めたが、返事より前に逸疾くその眼鏡を外した、進んで何か言いたいことでもあったと見える、別の吸子に沸った湯をさして、盆に乗せるとそれを持って、前垂の糸屑を払いさま、静に壇を上って、客・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・結局避難者を乗せる為に列車が来るから、帰ってからでなくてはいけないということであった。それならそうと早くいってくれればよいのだ。そうして何時頃来るかといえば、それは判らぬという。そのじつ判っているのである。配下の一員は親切に一時間と経ない内・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ しかし、私は、こうした家庭があまりに都会から遠い辺土であったなら、もとより新聞に載せることもなく、また、人々から同情されることもないと思うのです。そして、そうした悲惨な事実は、都会に於てゞばかりでなく、至るところにあると見るのが至当で・・・ 小川未明 「街を行くまゝに感ず」
・・・ 誰かがあいていた神戸の上へ十円載せると、呶鳴っていた男は俄かづくりのルーレットの針を廻す。針は京都で停る。紙の上の十円札は棒でかき寄せられ、京都へ張っていた男へ無造作に掴んだ五枚の十円札が渡される。「――さアないか。インチキなしだ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・と女は欠伸まじりに言い、束髪の上へ載せる丸く編んだ毛を掌に載せ、「帰らしてもらいまっさ」と言って出て行った。喬はそのまままた寝入った。 四 喬は丸太町の橋の袂から加茂磧へ下りて行った。磧に面した家々が、そこに午後の日・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
出典:青空文庫