・・・お彼岸に雪解けのわるい路を途中花屋に寄ったりして祖母につれられてきて、この部屋で痘痕の和尚から茶を出された――その和尚の弟子が今五十いくつかになって後を継いでるわけだった。自分も十五六年前までは暑中休暇で村に帰っていると、五里ほど汽車に乗っ・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・俺は貴様の弟子の外光派に唾をひっかける。俺は今度会ったら医者に抗議を申し込んでやる」 日に当りながら私の憎悪はだんだんたかまってゆく。しかしなんという「生きんとする意志」であろう。日なたのなかの彼らは永久に彼らの怡しみを見棄てない。壜の・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・「イヤそうでない、全くうまいものだ、これほど技があるなら人の門を流して歩かないでも弟子でも取った方が楽だろうと思う、お前独身者かね?」「ヘイ、親もなければ妻子もない、気楽な孤独者でございます、ヘッヘヘヘヘヘ」「イヤ気楽でもあるま・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・彼及び彼の弟子たちは皆その法名に冠するに日の字をもってし、それはわれらの祖国の国号の「日本」の日であることが意識せられていた。彼は外房州の「日本で最も早く、最も旺んなる太平洋の日の出」を見つつ育ち、清澄山の山頂で、同じ日の出に向かって、彼の・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・命を受けて左様いう事を仕て居るというのでも無いのですが、長らく先生の教を受けて居る中に自然と左様いう地位に立たなければならぬように、自然と出来上がった世話役なので、塾は即ち先生と右の好意的世話役の上足弟子とで維持されて居る訳なのです。 ・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・先生から見れば弟子か子のような男だ。 石垣について、幾曲りかして行ったところに、湯場があった。まだ一方には鉋屑の臭気などがしていた。湯場は新開の畠に続いて、硝子窓の外に葡萄棚の釣ったのが見えた。青黒く透明な鉱泉からは薄い湯気が立っていた・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・まれていたからでもあったのだが、しかし、また、このような機会を利用して、私がほとんど二十五年間かわらずに敬愛しつづけて来た井伏鱒二と言う作家の作品全部を、あらためて読み直してみる事も、太宰という愚かな弟子の身の上にとって、ただごとに非ざる良・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・ こんな風に、先生の御遺族や、また御弟子達の思いも付かない方面に隠れ埋もれた資料が存外沢山あるかもしれない、そういうのは今のうちに蒐集しなければもはや永久に失われてしまうのではないかと思われる。 そういう例としてはまた次のようなこと・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・「お絹ばあちゃがお弟子にお稽古をつけているのを、このちびさんが門前の小僧で覚えてしまうて……」祖母は気だるそうに笑っていた。 それがすむと、また二つばかり踊ってみせた。御褒美にバナナを貰って、いつか下へおりていった。「ここでも書・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・有事弟子服其労、有酒食先生饌、曾以是為孝乎。行儀の好いのが孝ではない。また曰うた、今之孝者是謂能養、至犬馬皆能有養、不敬何以別乎。体ばかり大事にするが孝ではない。孝の字を忠に代えて見るがいい。玉体ばかり大切する者が真の忠臣であろうか。もし玉・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
出典:青空文庫