・・・ 弘安五年九月、秋風立ち初むるころ、日蓮は波木井氏から贈られた栗毛の馬に乗って、九年間住みなれた身延を立ち出で、甲州路を経て、同じく十八日に武蔵国池上の右衛門太夫宗仲の館へ着いた。驢馬に乗ったキリストを私たちは連想する。日蓮はこの栗毛の・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
九月二十五日――撫順 今度の事変で、君は、俺の一家がどうなったか、早速手紙を呉れた。今日、拝見した。――心配はご無用だ。別条ない。 俺は、防備隊に引っぱり出された。俺だけじゃない。中学三年の一郎までが引っぱり出され・・・ 黒島伝治 「防備隊」
・・・ 三十日、清閑独り書を読む。 三十一日、微雨、いよいよ読書に妙なり。 九月一日、館主と共に近き海岸に到りて鰮魚を漁する態を観る。海浜に浜小屋というもの、東京の長家めきて一列に建てられたるを初めて見たり。 二日、無事。 三・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・――九月一日も、十月七日も、残念なことには「十一月七日」にもやられてしまった。 その日――十一月七日の朝「起床」のガラン/\が鳴ったせつな、監房という監房に足踏みと壁たゝきが湧き上がった。独房の四つの壁はムキ出しのコンクリートなので、そ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・わたしがこれを書いているのは九月の十二日だ。新涼の秋気はすでに二階の部屋にも満ちて来た。この一夏の間、わたしは例年の三分の一に当るほども自分の仕事をなし得ず、せめて煩わなかっただけでもありがたいと思えと人に言われて、僅かに慰めるほどの日を送・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・ 地震の、東京での発震は、九月一日の午前十一時五十八分四十五秒でした。それから引きつづいて、余震が、火災のはびこる中で、われわれのからだに感じ得たのが十二時間に百十四回以上、そのつぎの十二時間に八十八回、そのつぎが六十回、七十回と来まし・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ 昨年、九月、甲州の御坂峠頂上の天下茶屋という茶店の二階を借りて、そこで少しずつ、その仕事をすすめて、どうやら百枚ちかくなって、読みかえしてみても、そんなに悪い出来ではない。あたらしく力を得て、とにかくこれを完成させぬうちは、東京へ帰る・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・ しばらくして砲声が盛んに聞こえ出した。九月一日の遼陽攻撃は始まった。 田山花袋 「一兵卒」
・・・そうして九月上旬にもう一度行ったときに、温泉前の渓流の向こう側の林間軌道を歩いていたらそこの道ばたにこの花がたくさん咲き乱れているのを発見した。 星野滞在中に一日小諸城趾を見物に行った。城の大手門を見込んでちょっとした坂を下って行く・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・「忘れもしねえ、それが丁度九月の九日だ。私はその時、仕事から帰って、湯に行ったり何かしてね、娘どもを相手に飯をすまして、凉んでるてえと、××から忰の死んだ報知が来たというんだ。私アその頃籍が元町の兄貴の内にあったもんだから、そこから然う・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫