・・・それは彼女が身を売るまでに、邪慳な継母との争いから、荒むままに任せた野性だった。白粉が地肌を隠したように、この数年間の生活が押し隠していた野性だった。………「牧野め。鬼め。二度の日の目は見せないから、――」 お蓮は派手な長襦袢の袖に・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・が、私はミスラ君に約束した手前もありますから、どうしても暖炉に抛りこむと、剛情に友人たちと争いました。すると、その友人たちの中でも、一番狡猾だという評判のあるのが、鼻の先で、せせら笑いながら、「君はこの金貨を元の石炭にしようと言う。僕た・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・妻は争い負けて大部分を掠奪されてしまった。二人はまた押黙って闇の中で足しない食物を貪り喰った。しかしそれは結局食欲をそそる媒介になるばかりだった。二人は喰い終ってから幾度も固唾を飲んだが火種のない所では南瓜を煮る事も出来なかった。赤坊は泣き・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・乗客は前後を争いて飛移れり。学生とその友とはやや有りて出入口に顕れたり。その友は二人分の手荷物を抱えて、学生は例の厄介者を世話して、艀に移りぬ。 艀は鎖を解きて本船と別るる時、乗客は再び観音丸と船長との万歳を唱えぬ。甲板に立てる船長は帽・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・と右左より争い問われて、答うる声も震えながら、「何がなし一件じゃ、これなりこれなり。」と、握拳を鼻の上にぞ重たる、乞食僧の人物や、これを痴と言むよりはたまた狂と言むより、もっとも魔たるに適するなり。もししからずば少なくとも魔法使に適するなり・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・文人としての今日の欲望は文人同志の本家争いや功名争いでなくて、今猶お文学を理解せざる世間の群集をして文人の権威を認めしむるのが一大事であろう。 二十五年前と比べたら今日の文人は職業として存立し得るだけ社会に認められて来た。が、人生及び社・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・とにかく、みんなは、たがいに欲深であったり、嫉妬しあったり、争い合ったりする生活に愛想をつかしました。そして、これがほんとうの人生であるとは、どうしても真に信じられなかったのであります。・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・ 結局、この争いは、果てしがつかなかったのです。「今日は、どちらが早いかよく気をつけていろ!」と、製紙工場の煙突は、怒って、紡績工場の煙突に対っていいました。「おまえも、よく気をつけていろ! しかし、二人では、この裁判はだめだ。・・・ 小川未明 「ある夜の星たちの話」
・・・一方の極へおとされてゆく私の気持は、然し、本能的な逆の力と争いはじめました。そしてAの家を出る頃ようやく調和したくつろぎに帰ることが出来ました。Aが使から帰って来てからは皆の話も変って専ら来年の計画の上に落ちました。Rのつけた雑誌の名前を繰・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・立ち続く峰々は市ある里の空を隠して、争い落つる滝の千筋はさながら銀糸を振り乱しぬ。北は見渡す限り目も藐に、鹿垣きびしく鳴子は遠く連なりて、山田の秋も忙がしげなり。西ははるかに水の行衛を見せて、山幾重雲幾重、鳥は高く飛びて木の葉はおのずから翻・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫