にじょうじょう【二条城】
京都市中京区にある城。慶長8年(1603)徳川家康が京都の守護および上洛 (じょうらく) 時の居城として築城。天守や本丸御殿は焼亡したが、二の丸御殿(国宝)は桃山時代の書院造りの形態を伝え、狩野派の画家による障壁画とともに重要な遺構。平成6年(1994)「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。
にじょうじょうだい【二条城代】
江戸幕府の職名。京都二条城を守衛する役。江戸初期に設置、元禄12年(1699)廃止。
にじょうじょうばん【二条定番】
江戸幕府の職名。京都所司代支配下にあって二条城の城門を警衛する職。
にじょうためよ【二条為世】
⇒藤原為世
にじょうでんじゅ【二条伝授】
古今伝授の流派の一。宗祇 (そうぎ) から二条派の三条西実隆 (さんじょうにしさねたか) を経て細川幽斎に伝わったもの。
にじょうどおり【二条通り】
京都市中央部を東西に通じる道路。二条大橋から二条城に至る。寺町通り以西は平安京の二条大路にあたる。
にじょうは【二条派】
中世の歌道師範家である二条家系統の和歌の流派。近世まで及ぶ。→二条
にじょうよしもと【二条良基】
[1320〜1388]南北朝時代の公卿・歌人・連歌師。初め後醍醐天皇に仕え、のち北朝の天皇に仕えた。和歌は頓阿 (とんあ) に学び、連歌は救済 (ぐさい) を師としてともに「菟玖波 (つくば) 集」を撰し、式目を制定するなど、連歌の文学的地位を確立した。歌論「近来風体抄」、連歌論「筑波問答」「応安新式」「連理秘抄」など。