・・・二三日前に私はここに旧友をたずねて互いに健康を祝しあいながら町を歩いたのであった。 終点へ来たとき、私たちは別の電車を取るべく停留所へ入った。「神戸は汚い町や」雪江は呟いていた。「汚いことありゃしませんが」桂三郎は言った。「・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・並んだ石燈籠の蔭や敷石の上にまるで造花としか見えぬ椿の花の落ち散っている有様は、極めて写実的ならざる光琳派の色彩を思わしめる。互いに異なる風土からは互いに異なる芸術が発生するのは当然の事であろう。そして、この風土特種の感情を遺憾なく発揮する・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・御互いに開化と云う言葉を使っておって、日に何遍も繰返しているけれども、はたして開化とはどんなものだと煎じつめて聞き糺されて見ると、今まで互に了解し得たとばかり考えていた言葉の意味が存外喰違っていたりあるいはもってのほかに漠然と曖昧であったり・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・と二人で自分をいろいろ慰めてくれて、小万と姉妹の約束をして、小万が西宮の妻君になると自分もそこに同居して、平田が故郷の方の仕法がついて出京したら、二夫婦揃ッて隣同士家を持ッて、いつまでも親類になッて、互いに力になり合おうと相談もしている。そ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・第四に人々相集まりて一国一社会を成し、互いに公利を謀り共益を起こし、力の及ぶだけを尽してその社会の安全幸福を求むること。この四ヶ条の仕事をよくして十分に快楽を覚ゆるは論を俟たずといえども、今また別に求むべきの快楽あり。その快楽とは何ぞや。月・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・ 風が来たので鈴蘭は、葉や花を互いにぶっつけて、しゃりんしゃりんと鳴りました。 ホモイはもううれしくて、息もつかずにぴょんぴょん草の上をかけ出しました。 それからホモイはちょっと立ちどまって、腕を組んでほくほくしながら、 「・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・それが破綻であるか、或いは互いに一層深まり落付き信じ合った愛の団欒か、互いの性格と運とによりましょが、いずれにせよ、行きつくところまで行きついてそこに新たな境地を開かせる本質が恋愛につきものなのです。 自然は、人間の恋愛を唯だ男性と・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
・・・この二人はかつてある跛人の事でけんかをしたことがあるので今日までも互いに恨みを含んで怒り合っていた。アウシュコルンは糸くずのような塵同様なものを拾ったところをかねての敵に見つけられたから、内心すこぶる恥ずかしく思った。そこで手早く上衣の下に・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・それは互いに口に出しては言わぬが、きょうは倅が切腹する日だと、母もとうから思っていたからである。もし切腹しないとでも言ったら、母はさぞ驚いたことであろう。 母はまだもらったばかりのよめが勝手にいたのをその席へ呼んでただ支度が出来たかと問・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・この悲哀にしみじみと心を浸して、ともに泣き互いに励まし合うのは、私にとっては最も人間的な気のする事です。私はこういう人に対していかなる場合にも高慢である事はできません。特にその才能の乏しいのを嘲うような態度は、恐ろしい冷酷として、むしろ憎む・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫