・・・それに生れて辛っと五月ばかしの赤子さんを、懐裏に確と抱締めて御居でなのでした。此様女の人は、多勢の中ですもの、幾人もあったでしょうが、其赤さんを懐いて御居での方が、妙に私の心を動かしたのでした。『美子さん、早く入ッしゃいよ。あら、はぐれ・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・ 明治十年五月三十日福沢諭吉 記なるもあり。また宴席、酒酣なるときなどにも、上士が拳を打ち歌舞するは極て稀なれども、下士は各隠し芸なるものを奏して興を助る者多し。これを概するに、上士の風は正雅にして迂闊、下士の風は俚賤にして活・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ ―――――――――――――――――――― イソダン。五月二十三日。 なぜわたくしは今日あなたに出し抜けに手紙を上げようと決心いたしたのでしょう。人の心の事がなんでもお分かりになるあなたに伺ってみたら、それが・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 明治廿八年の五月の末から余は神戸病院に入院して居った。この時虚子が来てくれてその後碧梧桐も来てくれて看護の手は充分に届いたのであるが、余は非常な衰弱で一杯の牛乳も一杯のソップも飲む事が出来なんだ。そこで医者の許しを得て、少しばかりのい・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・四月九日〔以下空白〕一千九百廿五年五月五日 晴まだ朝の風は冷たいけれども学校へ上り口の公園の桜は咲いた。けれどもぼくは桜の花はあんまり好きでない。朝日にすかされたのを木の下から見ると何だか蛙の卵のような気がす・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・縫物も出来なかった。五月には、「お百姓なんて辛いもんだね、私にゃ半日辛棒もなりませんや」と、肩を動して笑った。――本当にこの永い一生、何をして生きて来たんだろう。村の人は、土地に馴れたという丈でやっと犬が吠ないような身装をし、食べ歩・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ 中陰の四十九日が五月五日に済んだ。これまでは宗玄をはじめとして、既西堂、金両堂、天授庵、聴松院、不二庵等の僧侶が勤行をしていたのである。さて五月六日になったが、まだ殉死する人がぽつぽつある。殉死する本人や親兄弟妻子は言うまでもなく・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 勘次は安次を待つのが五月蠅かった。ひとり出かけて行って秋三の狡さを詰ろうかとも思ったが、それは矢張り自分にとって不得策だと考えつくと、今更安次を連れて来てにじり附けた秋三の抜け目のない遣方に、又腹立たしくなって来た。 安次は食べ終・・・ 横光利一 「南北」
・・・そして云うには、ことしの五月一日に、エルリングは町に手紙をよこして、もう別荘の面白い季節が過ぎてしまって、そろそろお前さんや、避暑客の群が来られるだろうと思うと、ぞっとすると云ったと云うのである。「して見ると、あなたの御贔屓のエルリング・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・あの美しい幹も葉も、五月の風に吹かれて飛ぶ緑の花粉も、実はこのような苦労の上にのみ可能なのであった。 この時以来私は松の樹のみならず、あらゆる植物に心から親しみを感ずるようになった。彼らは我々とともに生きているのである。それは誰でも知っ・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
出典:青空文庫