・・・が、いずれ取るにも足らぬ些細のことだったのでございましょう。――そのほかは何もございませぬ。」 そこにまた短い沈黙があった。「ではどうじゃな、数馬の気質は? 疑い深いとでも思ったことはないか?」「疑い深い気質とは思いませぬ。どち・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・それがだんだん嵩じて来ると、今度は極些細な刺戟からも、絶えず神経を虐まれるような姿になった。 第一、莨盆の蒔絵などが、黒地に金の唐草を這わせていると、その細い蔓や葉がどうも気になって仕方がない。そのほか象牙の箸とか、青銅の火箸とか云う先・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・(些細 年の少い手代は、そっぽうを向く。小僧は、げらげらと笑っている。 私は汗じみた手拭を、懐中から――空腹をしめていたかどうかはお察し下さい――懐中から出すと、手代が一代の逸話として、よい経験を得たように、・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・その心操に感じて、些細ながら、礼心に密と内証の事を申す。貴女、雨乞をなさるが可い。――天の時、地の利、人の和、まさしく時節じゃ。――ここの大池の中洲の島に、かりの法壇を設けて、雨を祈ると触れてな。……袴、練衣、烏帽子、狩衣、白拍子の姿が可か・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・一体が何事にも執念く、些細な日常瑣事にすら余りクドクド言い過ぎる難があるが、不思議に失明については思切が宜かった。『回外剰筆』の視力を失った過程を述ぶるにあたっても、多少の感慨を洩らしつつも女々しい繰言を繰り返さないで、かえって意気のますま・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・勿論私の入智慧、というほどのたいしたことではないけれど、しかしそんな些細なことすら放って置けばあの人は気がつかず、紙質、活字の指定、見本刷りの校正まで私が眼を通した。それから間もなく私は、さきに書いたような、金銭に関するあの人の悪い癖を聞い・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・かと思うと、些細なことで気にいらないことがあると、キンキンした疳高い声で泣き、しまいには外行きの着物のまま泥んこの道端へ寝転ぶのだった。欲しいと思ったものは誰が何と言おうと、手に入れなければ承知せず、五つの時近所の、お仙という娘に、茶ダンス・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・ほんの些細なことがその日の幸福を左右する。――迷信に近いほどそんなことが思われた。そして旱の多かった夏にも雨が一度来、二度来、それがあがるたびごとにやや秋めいたものが肌に触れるように気候もなって来た。 そうした心の静けさとかすかな秋の先・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・とにかく些細なことでした。然し私はそのときも自分のなにかがつかれたような気がしたのです。私は自分にもいつかそんなことを思ったときがあると思いました。確かにあったと思うのですが思い出せないのです。そしてその時は淋しい気がしました。風呂のなかで・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・第二に、案外片意地で高慢なところがあって、些細な事に腹を立てすぐ衝突して職業から離れてしまう。第三に、妙に遠慮深いところがあること。 なるほどそう聞かされると翁の知人どものいわゆる『理由』は多少の『理由』を成している。 けれど大なる・・・ 国木田独歩 「二老人」
出典:青空文庫