・・・でも、「田園交響楽」でも、「阿部一族」でも、ちゃんと映画になっている様子だ。「女の決闘」の映画などは、在り得ない。 どうも、自作を語るのは、いやだ。自己嫌悪で一ぱいだ。「わが子を語れ」と言われたら、志賀直哉ほどの達人でも、ちょっ・・・ 太宰治 「自作を語る」
・・・胃の為にいいという、交響楽を考えてみましょう。サクラの花を見に行くのは、蓄膿症をなおしに行くのでは、無いでしょう。私は、こんなことをさえ考えます。芸術に、意義や利益の効能書を、ほしがる人は、かえって、自分の生きていることに自信を持てない病弱・・・ 太宰治 「正直ノオト」
・・・の代わりに、機械的に調律された恒同な雑音と唸り音の交響楽が奏せられていた。 祖母の紡いだ糸を紡錘竹からもう一ぺん四角な糸繰り枠に巻き取って「かせ」に作り、それを紺屋に渡して染めさせたのを手機に移して織るのであった。裏の炊事場の土間の片す・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・それで写実的な感じはするかもしれないが、線の交響楽として見た時に、肝心の第一ヴァイオリンがギーギーきしっているような感じしか与えない。これに反して、同じ北斎が自分の得意の領分へはいると同じぎざぎざした線がそこではおのずからな諧調を奏してトレ・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・ この映画を見た前夜にグスタフ・マーラーの第五交響楽を聞いた。あまりにも複雑な機巧に満ちたこの大曲に盛りつぶされ疲らされたすぐあとであったので、この単純なしかし新鮮なフィルムの音楽がいっそうおもしろく聞かれたのかもしれない。そうしてその・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・それには映画は舞台演劇の複製という不純分子を漸次に排除して影と声との交響楽か連句のようなものになって行くべきではないかと思われるのである。 こんな話をしていたらある人がアヴァンガルドという一派の映画がいくらかそういう方向を示すものだと教・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・それぞれの特色ある音色をもった楽器の交響楽を思わせるものがあった。皮膚の色までがこの五人それぞれはっきりした特色をもっていたような気がするのである。これとは直接関係のないことであるが、大学などでも明治時代の教授たちには、それぞれに著しくちが・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・云わば一つの線の交響楽のようなものではあるまいか。快活、憂鬱、謹厳、戯謔さまざまの心持が簡単な線の配合によって一幅の絵の中に自由に現われていると思うのである。 津田君の絵には、どのような軽快な種類のものでも一種の重々しいところがある。戯・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・というはなはだ不祥なことが、よく言えば一つの交響楽の演奏をするということにもなりうる。めいめいがソロをきかせるつもりでは成り立たないのである。 中学時代にはよく「おれは何々主義だ」と言って力こぶを入れることがはやった。かぼちゃを食わぬ主・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・ 二 大掃除の午後の路地の交互点、こわれたおもちゃに葱大根の尻尾、空瓶空ボールの交響楽、マルクス、ムッソリニの赤ん坊の夢を買わないか。汚いものは美しく、美しいものはきたなく。のっぺりの中へ少しこまこまと金銀紫・・・ 寺田寅彦 「二科狂想行進曲」
出典:青空文庫