・・・さて、彼は、夏羽織に手を通しながら、入口の処で押し合っている、人混みの中へ紛れ込んだ。 旦那の眼四つは、彼を見たけれど、それは別な人間を見た。彼ではなかった。「顔ばかり見てやがらあ。足や手を忘れちゃ駄目だよ。手にはバスケット、足には・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ 人込みの間をやっと、のびあがってプログラムを調べ、見たいと思うのを手帳へかきつけ、一時間ばかり列に立った。体の大きいソヴェト市民が標準だから窓口が高い。チビは、そこへのび上ってね、後から急き立てられながら、欲しい劇場の日どりと坐席の・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・ 平常から非常に母に対して情深い子で、人混みの中や等に出ると、その小さい手と足で自分の至大な母に迫って来る乱暴者をつけのけ様とし、顔を赤くし、小さい唇を噛(いしばって、自分の力の充分でない事を悲しみながら尊い努力を仕つづけるのです。・・・ 宮本百合子 「二月七日」
・・・小さな荷物を赤帽に持たせて、改札口へ歩いて行くと、人混みの中からツバのヒラヒラしたソフト帽をかぶった若い男が現れた。そして愛嬌のいい顔をして、英語で「ホテルはどちらへお泊りですか」と声をかけた。 わたしは、ソラ出たと思った。何故なら、ポ・・・ 宮本百合子 「ワルシャワのメーデー」
出典:青空文庫