・・・ただ淡水と潮水とが交錯する平原の大河の水は、冷やかな青に、濁った黄の暖かみを交えて、どことなく人間化された親しさと、人間らしい意味において、ライフライクな、なつかしさがあるように思われる。ことに大川は、赭ちゃけた粘土の多い関東平野を行きつく・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・もしそれだけでも確かだとすれば、人間らしい感情の全部は一層大切にしなければならぬ。自然は唯冷然と我我の苦痛を眺めている。我我は互に憐まなければならぬ。況や殺戮を喜ぶなどは、――尤も相手を絞め殺すことは議論に勝つよりも手軽である。 我我は・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・閣下、これが人間らしい行でございましょうか。 私は閣下に、これだけの事を申上げたいために、この手紙を書きました。私たち夫妻を凌辱し、脅迫する世間に対して、官憲は如何なる処置をとる可きものか、それは勿論閣下の問題で、私の問題ではございませ・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・と、外は薄雲のかかった月の光が、朦朧と漂っているだけで、停留場の柱の下は勿論、両側の町家がことごとく戸を鎖した、真夜中の広い往来にも、さらに人間らしい影は見えません。妙だなと思う途端、車掌がベルの綱を引いたので、電車はそのまま動き出しました・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・小作人たちと自分とが、本当に人間らしい気持ちで互いに膝を交えることができようとは、夢にも彼は望み得なかったのだ。彼といえどもさすがにそれほど自己を偽瞞することはできなかった。 けれどもあまりといえばあんまりだった。小作人たちは、「さ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・仁右衛門の口の辺にはいかにも人間らしい皮肉な歪みが現われた。彼れは結局自分の智慧の足りなさを感じた。そしてままよと思っていた。 凡ての興味が全く去ったのを彼れは覚えた。彼れは少し疲れていた。始めて本統の事情を知った妻から嫉妬がましい執拗・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 愛を知り、涙を知り、人間らしい感情に生きる民衆こそ、暴虐に対して、憤り、反抗する理由と実力とを有するのです。またこの霊魂をもって書かれた大芸術こそ、人生のための芸術であり、我等の高遠な目的に向って進むに当って、鼓舞して止まない真の芸術・・・ 小川未明 「民衆芸術の精神」
・・・ その位混むと、乗客は次第に人間らしい感覚を失って、自然動物的な感覚になって、浅ましくわめき散らすのだったが、わずかに人間的な感覚といえば、何となくみじめな想いと、そして突如として肚の底からこみ上げて来る得体の知れない何ものかに対する得・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・大乗の宗教はしかしそこまで徹しなければならないのであるが、倫理学が宗教ならぬ道徳の学であり、人間らしい行為の追求を旨としなくてはならぬ以上、実質的価値の倫理学は人倫の要求により適わしいといわねばならぬ。いずれにせよ、この形式主義か実質主義か・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・そこに人間の最も人間らしい悩みの中心課題があり、そこからまた従って英知とか諦めとか悟りとかいうものが育ってくるのである。人生の離合によって鍛えられない霊魂の遍歴というものは恐らくないであろう。 合うとか離れるとかいうことは実は不思議なこ・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
出典:青空文庫