・・・を満足せしむる目的に過ぎないように思うて居る、近頃は食事の問題も頗る旺であって、家庭料理と云い食道楽と云い、随分流行を極めているらしいが、予は決してそれを悪いとは云わねど、此の如き事に熱心なる人々に、今一歩考を進められたき希望に堪えないので・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ 今一ツ六蔵の妙な癖を言いますと、この子供は鳥が好きで、鳥さえ見れば目の色をかえて騒ぐことです。けれども何を見ても「からす」と言い、いくら名を教えても覚えません。「もず」を見ても「ひよどり」を見ても「からす」と言います。おかしいのは、あ・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・「嚊の産にゃ銭が要るし、今一文無しで仕事にはぐれたら、俺ら、困るんじゃ。それに正月は来よるし、……ひとつお前さんからもう一遍、親方に頼んでみておくれんか。」 杜氏はいや/\ながら主人のところへ行ってみた。主人の云い分は前と同じことだ・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・が、酒呑根性で、今一盃と云わぬばかりに、猪口の底に少しばかり残っていた酒を一息に吸い乾してすぐとその猪口を細君の前に突き出した。その手はなんとなく危げであった。 細君が静かに酌をしようとしたとき、主人の手はやや顫えて徳利の口へカチンと当・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・源氏以外の文学及びまた更に下っての今昔、宇治、著聞集等の雑書に就いて窺ったら、如何にこの時代が、魔法ではなくとも少くとも魔法くさいことを信受していたかが知られる。今一いちいち例を挙げていることも出来ないが、大概日本人の妄信はこの時代にうんじ・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・私は二階の二部屋を次郎と三郎にあてがい(この兄弟は二人末子は階下にある茶の間の片すみで我慢させ、自分は玄関側の四畳半にこもって、そこを書斎とも応接間とも寝部屋ともしてきた。今一部屋もあったらと、私たちは言い暮らしてきた。それに、二階は明るい・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ただ与次郎なるものが少々やりすぎる。今一歩うち場に控えればあんな厭味は出ないはずである。○しまいの踊は綺麗で愉快だった。見ていて人情も頭脳もいらない。ただ芸術的に眼を喜ばせる単純なものであるから、そこが自分にはすこぶる結構であった。・・・ 夏目漱石 「明治座の所感を虚子君に問れて」
・・・ 近頃読んだ本でありませんがマンテガッツァの『フィジオロジー・エンド・エキスプレション』という本の中にイミテーションということについて例を沢山挙げてありましたが、私は今一々人間という者は真似をするものであるということの沢山な例を記憶して・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・大に賛成する所なれども、我輩は今一歩を進め、婦人をして経済会計の主義技術を知らしめんことを祈る者なり。一家の経済は挙げて夫の自由自在に任せて妻は何事をも知らず、唯夫より授けられたる金を請取り之を日々の用度に費すのみにして、其金は自家の金か、・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ かりにその上書建白をして御採用の栄を得せしめ、今一歩を進めて本人も御抜擢の命を拝することあらん。而してその素志果して行われたるか、案に相違の失望なるべし。人事の失望は十に八、九、弟は兄の勝手に外出するを羨み、兄は親爺の勝手に物を買うを・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
出典:青空文庫