・・・―― 行一はそこに立ち、今朝の夢がまだ生なましているのを感じた。若い女の腿だった。それが植物という概念と結びついて、畸形な、変に不気味な印象を強めていた。鬚根がぼろぼろした土をつけて下がっている、壊えた赤土のなかから大きな霜柱が光ってい・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・しまどろみぬと思うや、目さめし時は東の窓に映る日影珍しく麗かなり、階下にては母上の声す、続いて聞こゆる声はまさしく二郎が叔母なり、朝とく来たりて何事の相談ぞと耳そばだつれど叔母の日ごろの快活なるに似ず今朝は母もろともしめやかに物語して笑い声・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・それに、今朝それを見まして、それでわっちがこっちの人じゃねえだろうと思ったんです。」 「どうして。」 「どうしてったって、段細につないでありました。段細につなぐというのは、はじまりの処が太い、それから次第に細いのまたそれより細いのと・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ 俺は今朝Nが警察の出がけに持ってきてくれたトマトとマンジュウの包みをあけたが、しばらくうつろな気持で、膝の上に置いたきりにしていた。 控室には俺の外にコソ泥ていの髯をボウ/\とのばした厚い唇の男が、巡査に附き添われて検事の調べを待・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ども自分の仕事をなし得ず、せめて煩わなかっただけでもありがたいと思えと人に言われて、僅かに慰めるほどの日を送って来たが、花はその間に二日休んだだけで、垣のどこかに眸を見開かないという朝とてもなかった。今朝も、わたしの家では、十八九輪もの眼の・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・ しかしこの群の人々に、この岩畳な老人が目に留まらなかったのではない。今朝から気は付いている。みんなが早足に町の敷石を蹈み締め蹈み締めして歩いていた時に気が付いている。あの冬になってもやはり綺麗に見える庭の後に、懐かしげな立派な家が立ち・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 丘を上る途中で、今朝買わせたばかりの下駄だのに、ぷすり前鼻緒が切れる。元が安物で脆弱いからであろうけれど、初やなぞに言わせると、何か厭なことがある前徴である。しかたがないから、片足袋ぬいで、半分跣足になる。 家へ帰ると、戸口から藤・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・と、そんなことをぬかすので、おれも、ははあ、これは何かあるな、と感づき、何食わぬ顔して、それに同意し、今朝、旅行に出たふりしてまた引返し、家の中庭の隅にしゃがんで看視していたのだ。夕方あいつは家を出て、何時何処で、誰から聞いて知っていたのか・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・その洋館の入り口には、酒保が今朝から店を開いているからすぐわかる。その奥に入って、寝ておれとのことだ。 渠はもう歩く勇気はなかった。銃と背嚢とを二人から受け取ったが、それを背負うと危く倒れそうになった。眼がぐらぐらする。胸がむかつく。脚・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・その間に秘密警察署の手で、今朝から誰があの川筋を通ったということを探りました。ベルリン中のホテルへ電話で問い合されました。ロシア人で宿泊しているものはないかと申すことで。」「なぜロシア人というのだろう」と、おれは切れぎれに云った。「・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
出典:青空文庫