・・・は、その惑溺の最中に書いた抒情詩の集編であり、したがつてあのショーペンハウエル化した小乗仏教の臭気や、性慾の悩みを訴へる厭世哲学のエロチシズムやが、集中の詩篇に芬々として居るほどである。しかし僕は、それよりも尚多くのものをニイチェから学んだ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・それは固より宗教を理窟詰にしようという考えであったから、唯物論に傾いていた僕には何だか善くもわからぬ癖に、耶蘇教でも仏教でもただ頭から嫌いで仕方がなかった。それが近年に至って文学上の趣味を楽むようになってから、智識的な事には少しあきが来て、・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ 同情派と云いますのは、私たちもその方でありますが、恰度仏教の中でのように、あらゆる動物はみな生命を惜むこと、我々と少しも変りはない、それを一人が生きるために、ほかの動物の命を奪って食べるそれも一日に一つどころではなく百や千のこともある・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 源氏物語の時代にしろ、女らしさは紫式部が描き出しているとおりなかなか多難なものであった。仏教や儒教が、女らしさにますます忍苦の面を強要している。孟母三遷というような女の積極的な判断が行動へあらわれたような例よりも、女は三界に家なきもの・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・シルク・ショウにあらわれている振袖姿の日本娘であり、文化交換として生花、茶、日本舞踊を習っている外国婦人の姿であり、仏教の僧正になった外国紳士の姿である。さもなければあんまり早くアメリカ風になったという題でうつされている植民地的ハイカラーな・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・七巻きとか七巻き半とかいう表現は、仏教の七生までも云々という言葉とともに、あることがらを自分の目前から追い払ってもまだそれはおしまいになったわけではないぞよ、という脅嚇を含んでいる。自分たちの棲んでいる地球を天界の外から見た人はないのだから・・・ 宮本百合子 「幸運の手紙のよりどころ」
・・・道教に観があるのは、仏教に寺があるのと同じ事で、寺には僧侶が居り、観には道士が居る。その観の一つを咸宜観と云って女道士魚玄機はそこに住んでいたのである。 玄機は久しく美人を以て聞えていた。趙痩と云わむよりは、むしろ楊肥と云うべき女である・・・ 森鴎外 「魚玄機」
・・・彼の眼界は、日本、シナ、インドの全体にわたり、仏教哲学、程朱の学、日本の古典などにすべて通じている。著書も多く、当時の学問の集大成の観がある。したがって思想傾向も、一切を取り入れて統一しようという無傾向の傾向であって、好くいえば総合的、悪く・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・日本人に深い精神的内容を与えた仏教は、蓮華によって象徴されているように見える。仏像は大抵蓮華の上にすわっているし、仏画にも蓮華は盛んに描かれている。仏教の祭儀の時に散らせる華は、蓮華の花びらであった。仏教の経典のうちの最もすぐれた作品は妙法・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・ 千数百年以前にわが国へ襲来した仏教の文化はまさにかくのごときものであった。それはただ一つの新しい宗教であるというだけではなく、我々の祖先のあらゆる心を動かし得る多方面な、内容の豊かな大きい力であった。もしそれが、ローマを襲ったキリスト・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫