・・・ このような他愛もない事を考えながらともかくも三年にわたる厄年を過して来た。厄年に入る前年に私は家族の一人を失ったが、その後にはそれほど著しい不幸には会わなかった。もっとも四十二の暮から自分で病気に罹って今でもまだ全快しない。この病・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・この前四谷に行って露子の枕元で例の通り他愛もない話をしておった時、病人が袖口の綻びから綿が出懸っているのを気にして、よせと云うのを無理に蒲団の上へ起き直って縫ってくれた事をすぐ聯想する。あの時は顔色が少し悪いばかりで笑い声さえ常とは変らなか・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・絵を描くというと何かえらいものが描けるように聞えるかも知れませんが、実は他愛もないものを描いて、それを壁に貼りつけて一人で二日も三日もぼんやり眺めているだけなのです。昨日でしたかある人が来て、この絵は大変面白い――いや面白いと云ったのではあ・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・ 彼の人が来れば仕事の有る時は、一人放って置いて仕事をし、暇な時は寄っかかりっこをしながら他愛もない事を云って一日位座り込んで居る。 あきれば、「又来ます、気が向いたら。と云って一人でさっさと帰って行く。 私は、・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・筆を握ったが、先の方が変にくたくた他愛がなく、どんな風に動かしていいかわからない。正直にいえば、母が、どっちから、どう書き出したかも、余り珍しく熱心に気をとられているので判らない。 暫く躊躇した後、私は思い切って力を入れ、硯に近い右の方・・・ 宮本百合子 「雲母片」
・・・因習に強制されない自分の個性そのものが既に他愛的な傾向をもつ。個性の輝かしい拡大としての人間への献身。一九一四年、大戦がヨーロッパの思想的支柱をゆり動かしはじめた時、ポール・クロオデルは飽きることのない執拗さで、清教徒であることをやめたジイ・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・大正初めのその頃文学好きな人は殆どみんな読んだワイルドの作品だのポウだの、武者小路実篤の書いたものを手に入る片はじから熱心に読み、自分から書くものはと云えば、手に負えない内心の有様とはかかわりない他愛のない物語だったことも、精神が不平均に芽・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・その二つの見方はどっちも、それだけの理由があると思います。他愛のないという印象を与えたことも真とうでしょう。何人かの女の人からそう云う批評を聞きました。その人たちはあれがアメリカで好評なのは何故でしょうと不満相に云いましたけれど、その何故で・・・ 宮本百合子 「女性の生活態度」
・・・そんな景色と村道の赭土にくっきり車の軌の跡のめりこんだ荒涼とした有様、鶏や馬の間でのいろんな婆さんや爺さんの他愛もない暮しぶりは、心に刻みつける何かをもって印象に迫って来るのであった。 祖母の家の裏口の小溝の傍に一本杏の樹があった。花も・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・何ァんだ。他愛もない地球であった。私は地球を胸に抱きかかえて大笑いをしているのである。 まごついた夢 歩こうとするのに足がどちらへでも折れるではないか、…………… 面白くない夢 金を拾った夢。……・・・ 横光利一 「夢もろもろ」
出典:青空文庫