・・・費を給し既に学校に入るれば、これを放ちて棄てたるが如く、その子の何を学ぶを知らず、その行状のいかなるを知らず、餅は餅屋、酒は酒屋の例を引き、病気に医者あり、教育に教師ありとて、七、八円の金を以て父母の代人を買入れ、己が荷物を人に負わせて、本・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・「わたくしは警察からは召喚されただけで、それは旅行届を出して代人を出してある筈です。それに就ては署長に充分諒解を得てあります。警察では、わたくしに何の嫌疑もかけていない筈です。」「それならなぜ旅行届を出したりして遁げたのです。」・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・雁金がリアリズムの見地でリアルであるかないかは、彼にとって問題でなく、作者が自分の主張の代人である久内を自由人として鋳出すに必要なワキ役のタイプとしていかす必要にだけ腹をすえて、雁金も山下も、妻、初子すべてを扱っている。長篇「紋章」の終りに・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ 松本氏が、急になくなられた許婚の愛人栄子さんと岳父の代人で結婚の盃をあげられた行為は、氏の年齢や学歴やその地方での素封家であるというような条件と対照して、私共の注意を一層呼び起したと思われます。「松本氏の年や地位にてらして何という今の・・・ 宮本百合子 「私も一人の女として」
・・・当時は代人差立と云うことが出来たので、伊織が七五郎の代人として石見守に附いて上京することになった。伊織は、丁度妊娠して臨月になっているるんを江戸に残して、明和八年四月に京都へ立った。 伊織は京都でその年の夏を無事に勤めたが、秋風の立ち初・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・趙翼は魏収をそしって「代人作家譜」といった。しかしわたくしの伝記を作るのと、支那人が史を修めたのとは、その動機に同じからざるものがあるかとおもう。碑文に漢文体を用いるのも、また形式未成のゆえである。これが歴史である。現在はかくのごとくである・・・ 森鴎外 「なかじきり」
出典:青空文庫