・・・彼に雇われる以上、彼の旦那気質で、おそらく組合のことでも、対等には三吉にしゃべらせないのが眼にみえていたからだった。ほんとに地方はせまかった。一たん浮いてしまったら、土地の勢力と妥協でもしないかぎり、もうからだの置き場所がなくなるのであった・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ わたくしは甚散漫ながら以上の如く明治年間の上野公園について見聞する所を述べた。明治時代の都人は寛永寺の焼跡なる上野公園を以て春花秋月四時の風光を賞する勝地となし、或時はここに外国の貴賓を迎えて之を接待し、又折ある毎に勧業博覧会及其他の・・・ 永井荷風 「上野」
・・・らから見て闇に等しい科学界が、一様の程度で彼らの眼に暗く映る間は、彼らが根柢ある人生の活力の或物に対して公平に無感覚であったと非難されるだけで済むが、いやしくもこの暗い中の一点が木村項の名で輝やき渡る以上、また他が依然として暗がりに静まり返・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
・・・多少書を読み思索にも耽った私には、時に研究の便宜と自由とを願わないこともなかったが、一旦かかる境遇に置かれた私には、それ以上の境遇は一場の夢としか思えなかった。然るに歳漸く不惑に入った頃、如何なる風の吹き廻しにや、友人の推輓によってこの大学・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・しかも宇宙の隠れた意味は、常に通俗以上である。だからすべての哲学者は、彼らの窮理の最後に来て、いつも詩人の前に兜を脱いでる。詩人の直覚する超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックの実在なのだ。 こうした思惟に耽りながら、私はひとり秋の山道・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ もうこれ以上飲めないと思って、バーを切り上げて来たんだから、銀銅貨取り混ぜて七八十銭もあっただろう。「うん、余る位だ。ホラ電車賃だ」 そこで私は、十銭銀貨一つだけ残して、すっかり捲き上げられた。「どうだい、行くかい」蛞蝓は・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・畢竟するに其気品高尚にして性慾以上に位するが故なりと言わざるを得ず。曾て東京に一士人あり、頗る西洋の文明を悦び、一切万事改進進歩を気取りながら、其実は支那台の西洋鍍金にして、殊に道徳の一段に至りては常に周公孔子を云々して、子女の教訓に小学又・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・要するに人間生きてる以上は思想を使うけれども、それは便宜の為に使うばかり。と云う考えだから、私の主義は思想の為の思想でもなけりゃ芸術の為の芸術でもなく、また科学の為の科学でもない。人生の為の思想、人生の為の芸術、将た人生の為の科学なのだ。・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・蕪村は徂徠ら修辞派の主張する、文は漢以上、詩は唐以上と言えるがごとき僻説には同意するものにあらざるべけれど、唐以上の詩をもって粋の粋となしたること疑いあらじ。蕪村が書ける春泥集の序の中に曰く、彼も知らず、我も知らず、自然に化して俗を・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・それは県の規則が全級の三分の一以上参加するようになってるからだそうだ。けれども学校へ十九円納めるのだしあと五円もかかるそうだから。きっと行けると思う人はと云ったら内藤君や四人だけ手をあげた。みんな町の人たちだ。うちではやってくれるだろうか。・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
出典:青空文庫