・・・が、この男はまだ芸術家になりきらぬ中、香具師一流の望に任せて、安直に素張らしい大仏を造ったことがある。それも製作技術の智慧からではあるが、丸太を組み、割竹を編み、紙を貼り、色を傅けて、インチキ大仏のその眼の孔から安房上総まで見ゆるほどなのを・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・主婦というもののない私の家では、子供らの着物の世話まで下女に任せてある。このお徳は台所のほうから肥った笑顔を見せて、半分子供らの友だちのような、慣れ慣れしい口をきいた。「次郎ちゃん、いい家があって?」「だめ。」 次郎はがっかりし・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・そこでも市民たちは、やはりみんなの間からいくたりかの議政官というものを選んで、その人たちにすべての支配を任せていました。或とき、その議政官の一人にディオニシアスという大層な腕ききがいました。 ディオニシアスは、もとはずっと下級の役に使わ・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・ 途中には生けがきに取りめぐらされて白い門のある小さな住居のあるのを見ましたが、戸は開いたままになって快く二人のはいるに任せてありました。おかあさんは門をはいって、芍薬と耘斗葉の園に行きました。見ると窓にはみんなカーテンが引いてありまし・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・その料理屋には、神前挙式場も設備せられてある由で、とにかく、そのほうの交渉はいっさい小坂氏にお任せする事にした。また媒妁人は、大学で私たちに東洋美術史を教え、大隅君の就職の世話などもして下さった瀬川先生がよろしくはないか、という私の口ごもり・・・ 太宰治 「佳日」
・・・しかし平生克己ということをしたことのない男だから、またしては怒に任せて喧嘩をする。 ある日ドリスが失踪した。暇乞もせずに、こっそりいなくなった。焼餅喧嘩に懲りたのである。ポルジイは独り残って、二つの学科を修行した。溜息の音楽を奏して、日・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ ところが、その後間もなく自分は胃潰瘍にかかって職を休んで引籠ってしまったので、教室の自分の部屋は全くそのままに塵埃のつもるに任せて永い間放置されていた。そこへ大正十二年の大震災が襲って来て教室の建物は大破し、崩壊は免れたが今後の地震に・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・避姙は宛ら選挙権の放棄と同じようなもので、法律はこれを個人の意志に任せている。 選挙にはむずかしい規定がある。一たびこれに触れると、忽縲紲の辱を受けねばならない。触らぬ神に祟なき諺のある事を思えば、選挙権はこれを棄てるに若くはない。・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・何年何月何日にどうしたこうしたとあたかも口から出任せに喋舌っているようである。しかもその流暢な弁舌に抑揚があり節奏がある。調子が面白いからその方ばかり聴いていると何を言っているのか分らなくなる。始めのうちは聞き返したり問い返したりして見たが・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ユンケル氏はその後一高の方へ転任せられ、もう大分前に故人となられた。エスさんも、その後何処に行かれたか。その頃私より少し年上であったと思うが、今も何処かに健かにしておられるか知ら。 西田幾多郎 「アブセンス・オブ・マインド」
出典:青空文庫