・・・思うに画と云う事に初心な彼は当時絵画における写生の必要を不折などから聞いて、それを一草一花の上にも実行しようと企てながら、彼が俳句の上ですでに悟入した同一方法を、この方面に向って適用する事を忘れたか、または適用する腕がなかったのであろう。・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・けれども二人の関係はそれ以上に接近する機会も企てもなく、ほとんど同じ距離で進行するのみにみえた。そうして二人ともそれ以上に何物をも求むる気色がなかった。要するに二人の間は、年長者の監督のもとに立つある少女と、まだ修業ちゅうの身分を自覚するあ・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・しかるに何ぞ図らん、君は余よりも前に、同じ境遇に会うて、同じ事を企てられたのである。余は別れに臨んで君の送られたその児の終焉記を行李の底に収めて帰った。一夜眠られぬままに取り出して詳かに読んだ、読み終って、人心の誠はかくまでも同じきものかと・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・ゆえ、これを代用すべしといい、この考と、また一方には上士と下士との分界をなお明にして下士の首を押えんとの考を交え、その実はこれがため費用を省くにもあらず、武備を盛にするにもあらず、ただ一事無益の好事を企てたるのみ。この一条については下士の議・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 試みに西洋諸国の工商社会を見れば、某は何々の工事を企てて何十万円を得たり、某は何々の商売に何百万の産をなしたりという、その人の身は、必ず学校より出でたる者にして、少小教育の所得を、成年の後、殖産の実地に施し、もって一身一家の富をいたし・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・あるいは田舎の風光、山村の景色等自己の実見せしものを捉え来たりて、支那的空想に耽りたる絵画界に一生面を開かんと企てたり。あるいは時間を写さんとし、あるいは一種の色彩を施さんとして苦心したり。絵画における彼の眼光はきわめて高く、到底応挙、呉春・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・私は無力ながら敢えてこの冒険を企てた。」といっている。その「人生の可能」の一つとして定子に対する葉子の曇りない愛情を押したてているのであろうか。 作者は性は善なりという愛の感情を人間の全般に対して抱こうとした人であった。それ故葉子の定子・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・ 新日本文学会は、そういう希望の発露として企てられた。雑誌『新日本文学』は、人から人へ、都会から村へ、海から山へと、苦難を経た日本の文学が、いまや新しい歩調でその萎えた脚から立ち上るべき一つのきっかけを伝えるものとして発刊される。私たち・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・ これに反して、若い花房がどうしても企て及ばないと思ったのは、一種の Coup d'ドヨイユ であった。「この病人はもう一日は持たん」と翁が云うと、その病人はきっと二十四時間以内に死ぬる。それが花房にはどう見ても分からなかった。 只・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・しかしそれは工まれ企てられた美しさではない。自然を父とし、画家の心臓を胎として生まれた天真の美しさである。僕はこれらの画に心を引かれる。しかし『慈悲光礼讃』からは何の感興をも受けない。むしろ池の面に浮かんだ魚の姿を滑稽にさえも思う。 小・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫