・・・私は学校にいた時呼吸器を悪くして三月許り休学していたことがある。徴兵官は私の返答をきくとそりゃ惜しいことをしたなと言い、そしてジロリと私の頭髪を見て、この頃そういう髪の型が流行しているらしいが、流行を追うのは知識人らしくないと言った。私はい・・・ 織田作之助 「髪」
・・・じつは一年休学することにしたんです」「そうでございますってね。小母さんは毎日あなたの事ばかり案じていらっしゃるんですよ。今度またこちらへお出でになることになりましてから、どんなにお喜びでしたかしれません。……考えると不思議な御縁ですわね・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・大学の二年から三年に移った夏休みに、呼吸器の病気を発見したために、まる一年休学して郷里の海岸に遊んでいたころ、その病気によくきくと言ってある親戚から笹百合というものの球根を送ってくれた事があった。それを炮烙で炒ってお八つの代わりに食ったりし・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・病気で休学して郷里で遊んでいたときのことであるが、病気も大体快くなってそろそろ退屈しはじめ、医者も適度の運動を許してくれるようになった頃のことであった。時々宅の庭の手入れなどに雇っていた要太という若者があって、それが「鴫突き」の名人だという・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・ 大学の二年の終わりに病気をして一年休学していた間に「片はしご」というのをおろしてくれたのが近所の国語の先生の奥さんであった。家伝の名灸でその秘密をこの年取った奥さんが伝えていたのである。なんでも紙撚だったか藁きれだったか忘れたが、それ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 先生の留学中に自分は病気になって一年休学し、郷里の海岸で遊んでいたので、退屈まかせに長たらしい手紙をかいてはロンドンの先生に送った。そうして先生からのたよりの来るのを楽しみにしていた。病気がよくなって再び上京し、まもなく妻をなくして本・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・大学の二年から三年にあがった夏休みの帰省中に病を得て一年間休学したが、その期間にもずっと須崎の浜へ転地していたために紅葉の盛りは見そこなった。冬初めに偶然ちょっと帰宅したときに、もうほとんど散ってしまったあとに、わずかに散り残って暗紅色に縮・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
・・・国へ帰って後病を得て一年休学する事になり、友に託して荷物は親類へ預けてしまい、しばらくしての友の手紙に雪ちゃんの家は他へ譲り渡し、主人は寺番に、雪ちゃんはある医学士の家へ小間使に上がったが、主婦に関してはすべて消息を知る事が出来ぬとの事であ・・・ 寺田寅彦 「雪ちゃん」
・・・ 大学は農科へ入学して、農芸化学を修めていたが、そのうちにはげしい神経衰弱にかかって学校を休学した。それきりどうしても再び出ようとは言わなかったのを、私が留学から帰った時に無理にすすめて出る事にはなったが、それでもやはり学校は欠席がちで・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
出典:青空文庫