・・・ましてこっちが負けた時は、ものゝ分った伯父さんに重々御尤な意見をされたような、甚憫然な心もちになる。いずれにしてもその原因は、思想なり感情なりの上で、自分よりも菊池の方が、余計苦労をしているからだろうと思う。だからもっと卑近な場合にしても、・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・HはS村の伯父を尋ねに、Nさんはまた同じ村の籠屋へ庭鳥を伏せる籠を註文しにそれぞれ足を運んでいたのだった。 浜伝いにS村へ出る途は高い砂山の裾をまわり、ちょうど海水浴区域とは反対の方角に向っていた。海は勿論砂山に隠れ、浪の音もかすかにし・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・若しお前たちの母上の臨終にあわせなかったら一生恨みに思うだろうとさえ書いてよこしてくれたお前たちの叔父上に強いて頼んで、お前たちを山から帰らせなかった私をお前たちが残酷だと思う時があるかも知れない。今十一時半だ。この書き物を草している部屋の・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・かつて、彼の叔父に、ある芸人があったが、六十七歳にして、若いものと一所に四国に遊んで、負けない気で、鉄枴ヶ峰へ押昇って、煩って、どっと寝た。 聞いてさえ恐れをなすのに――ここも一種の鉄枴ヶ峰である。あまつさえ、目に爽かな、敷波の松、白妙・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 幸福と親御の処へなりまた伯父御叔母御の処へなり、帰るような気になったら、私に辞儀も挨拶もいらねえからさっさと帰りねえ、お前が知ってるという蓬薬橋は、広場を抜けると大きな松の木と柳の木が川ぶちにある、その間から斜向に向うに見えらあ、可い・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ あらア荒場の伯父さんだよって、母子が一所にそういって、小牛洗いはそこそこにさすが親身の挨拶は無造作なところに、云われないなつかしさが嬉しい、まア伯父さんこんな形では御挨拶も出来ない、どうぞまア足を洗って下さい、そういうより早く水を汲ん・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・すると何処からか聞きつけて「伯父さん、絵を描いておくれ」と五厘を持って来る児供があった。コイツ面白いと、恭やしく五厘を奉書に包んで頼みに来る洒落者もあった。椿岳は喜んで受けて五厘の潤筆料のため絵具代を損するを何とも思わなかった。 尤もそ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・であるから『書生気質』や『妹と背鏡』を見て、文学士などというものは小説が下手なものだと思ったばかりであるが、親だとか伯父だとかが私が小説に耽溺するのを頻りに喧ましくいって「下らぬ戯作などを読む馬鹿があるか」と叱られるたんびには坪内君を引合に・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・二宮金次郎氏は十四のときに父を失い、十六のときに母を失い、家が貧乏にして何物もなく、ためにごく残酷な伯父に預けられた人であります。それで一文の銭もなし家産はことごとく傾き、弟一人、妹一人持っていた。身に一文もなくして孤児です。その人がドウし・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ 泣けもせずキョトンとしているのを引き取ってくれた彦根の伯父が、お前のように耳の肉のうすい女は総じて不運になりやすいものだといったその言葉を、登勢は素直にうなずいて、この時からもう自分のゆくすえというものをいつどんな場合にもあらかじめ諦・・・ 織田作之助 「螢」
出典:青空文庫