・・・しかし疎らに生え伸びた草は何か黒い穂に出ながら、絶えず潮風にそよいでいた。「この辺に生えている草は弘法麦じゃないね。――Nさん、これば何と言うの?」 僕は足もとの草をむしり、甚平一つになったNさんに渡した。「さあ、蓼じゃなし、―・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・孫七も髭の伸びた頬には、ほとんど血の気が通っていない。おぎんも――おぎんは二人に比べると、まだしもふだんと変らなかった。が、彼等は三人とも、堆い薪を踏まえたまま、同じように静かな顔をしている。 刑場のまわりにはずっと前から、大勢の見物が・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・この本能が環境の不調和によって伸びきらない時、すなわちこの本能の欲求が物質的換算法によって取り扱われようとする時、そこにいわゆる社会問題なるものが生じてくるのだ。「共産党宣言」は暗黙の中にこの気持ちを十分に表現しているように見える。マルクス・・・ 有島武郎 「想片」
・・・お前たちの清い心に残酷な死の姿を見せて、お前たちの一生をいやが上に暗くする事を恐れ、お前たちの伸び伸びて行かなければならぬ霊魂に少しでも大きな傷を残す事を恐れたのだ。幼児に死を知らせる事は無益であるばかりでなく有害だ。葬式の時は女中をお前た・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・……が、底ともなく、中ほどともなく、上面ともなく、一条、流れの薄衣を被いで、ふらふら、ふらふら、……斜に伸びて流るるかと思えば、むっくり真直に頭を立てる、と見ると横になって、すいと通る。 時に、他に浮んだものはなんにもない。 この池・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・と縮んだり伸びたり。 烏賊が枝へ上って、鰭を張った。「印半纏見てくんねえ。……鳶職のもの、鳶職のもの。」 そこで、蛤が貝を開いて、「善光寺様、お開帳。」とこう言うのである。 鉈豆煙管を噛むように啣えながら、枝を透かして仰・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 六 珊瑚樹垣の根には蕗の薹が無邪気に伸びて花を咲きかけている。外の小川にはところどころ隈取りを作って芹生が水の流れを狭めている。燕の夫婦が一つがい何か頻りと語らいつつ苗代の上を飛び廻っている。かぎろいの春の光、見・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・そこここに、低い、片羽のような、病気らしい灌木が伸びようとして伸びずにいる。 二人の女は黙って並んで歩いている。まるきり言語の通ぜぬ外国人同士のようである。いつも女房の方が一足先に立って行く。多分そのせいで、女学生の方が何か言ったり、問・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・そして、その芽が大きく伸びて、一本の木となった時分には、その木の親木は、もう、枯れていることもあります。またじょうぶでいることもあります。そんなことが、たび重なるにつれて、その木の子や、孫が地面上に殖えていって繁栄するのです。」と、お母さん・・・ 小川未明 「赤い実」
一 小さな芽 小さな木の芽が土を破って、やっと二、三寸ばかりの丈に伸びました。木の芽は、はじめて広い野原を見渡しました。大空を飛ぶ雲の影をながめました。そして、小鳥の鳴き声を聞いたのであります。(ああ、これが世の中と考えました。・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
出典:青空文庫