・・・その高い音と関係があると言えば、ただその腹から尻尾へかけての伸縮であった。柔毛の密生している、節を持った、その部分は、まるでエンジンのある部分のような正確さで動いていた。――その時の恰好が思い出せた。腹から尻尾へかけてのブリッとした膨らみ。・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・鉄は、熱に依って多少の伸縮があるものだけれども、それにしても、約七尺弱とは、伸縮が大袈裟すぎる。そこが、不思議である。神意、ということを考えないわけにいかない。私のこのたびの盗難にしても、たしかに数数の不思議があった。 だいいちには、あ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・もっとも胎生動物の母胎の伸縮も同様な例としてあげられるかもしれないが、しかしこの蛇のように僅少な時間にこんなに自由に伸びるのは全く珍しいと言わなければなるまい。これにはきっと特別な細胞や繊維の特異性があるに相違ないが、ちょっとした動物学の書・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・尺度は伸縮自在にして常に彼の胸中に存在せねばならぬ。批評の法則が立つと文学が衰えるとはこのためである。法則がわるいのではない。法則を利用する評家が変通の理を解せんのである。 作家は造物主である。造物主である以上は評家の予期するものばかり・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・もしくは不親切な書き方と云っても悪くはありますまい。もしくは伸縮方を解せぬ、弾力性のない文章と評しても構わないでしょう。汽車電車は無論人力さえ工夫する手段を知らないで、どこまでも親譲りの二本足でのそのそ歩いて行く文章であります。したがって散・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
「猫」の下巻を活字に植えて見たら頁が足りないから、もう少し書き足してくれと云う。書肆は「猫」を以て伸縮自在と心得て居るらしい。いくら猫でも一旦甕へ落ちて往生した以上は、そう安っぽく復活が出来る訳のものではない。頁が足らんから・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』下篇自序」
・・・自分はそれを見、ロシア人の持つ生活上の伸縮性を強く感じた。現在二十歳以上のロシア人はすべて革命、飢饉時代を経て生きて来た。生活に必要な条件というものがある。それの全然欠けた日々を潜って如何にして生きるかを習得して来たわけだ。 この民衆の・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・何故ならば、われわれの共通な敵は一つであり、それに向って立てられるわれらの戦列は、常に可能な限りの発展的伸縮性において、然し戦闘的統一をもって固められていなければならないからである。 右翼的逸脱、「左」翼的逸脱への危険は、作家同盟が階級・・・ 宮本百合子 「前進のために」
・・・基本的人権というものは、政府の都合で伸縮する「天狗の鼻」のおもちゃではないのである。〔一九四六年十月〕 宮本百合子 「メーデーぎらい」
・・・なんにしろ、あの垣の上に妙な首が載っていて、その首が何の遠慮もなく表情筋を伸縮させて、雄弁を揮っている処は面白い。東京にいた時、光線の反射を利用して、卓の上に載せた首が物を言うように思わせる見世物を見たことがあった。あれは見世物師が余り p・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫