・・・余はそれを通読するつもりで宅へ持って帰ったが、何分課業その他が忙がしいので段々延び延びになって、何時まで立っても目的を果し得なかった。ほど経て先生が、久しい前君に貸したベインの本は僕の先生の著作だから保存して置きたいから、もし読んでしまった・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・僕かね、僕だってうんとあるのさ、けれども何分貧乏とひまがないから、篤行の君子を気取って描と首っ引きしているのだ。子供の時分には腕白者でけんかがすきで、よくアバレ者としかられた。あの穴八幡の坂をのぼってずっと行くと、源兵衛村のほうへ通う分岐道・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・姑必ずしも薄情ならず、其安産を祈るは実母と同様なれども、此処が骨肉微妙の天然にして、何分にも実母に非ざれば産婦の心を安んずるに足らず。また老人が長々病気のとき、其看病に実の子女と養子嫁と孰れかと言えば、骨肉の実子に勝る者はなかる可し。即ち親・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・仮令い或は其一方が真実打解けて親まんとするも、先方の心に何か含む所あるか、又は含む所あらんと推察すれば、何分にも近づき難きが故に、俗に言う触らぬ神に祟なしの趣意に従い、一通りの会釈挨拶を奇麗にして、思う所の真面目をば胸の中に蔵め置くより外に・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・(青金で誰か申し上げたのはうちのことですが、何分汚ないし、いろいろ失礼 老人はわずかに腰をまげて道と並行にそのまま谷をさがった。五、六歩行くとそこにすぐ小さな柾屋があった。みちから一間ばかり低くなって蘆をこっちがわに塀のように編・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・と云いながら、四方八方から、飛びかかりましたが、何分とのさまがえるは三十がえる力あるのですし、くさりかたびらは着ていますし、それにあまがえるはみんな舶来ウェスキーでひょろひょろしてますから、片っぱしからストンストンと投げつけられました。おし・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・材料を買って、時間を費して、大して美味くもないものを拵えて食べているより、モスクワでは既に出来ているが、大きな厨房工場、台所工場、そこで科学的に原料を調べて、この牛肉は何時に殺した肉だから、何時間後に何分煮て食べたら美味いかということまで調・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの素顔」
・・・ すると、二階の襖が開き、「じゃ、そんな訳ですから何分よろしゅう」と云う、錆びた中年の男の大きな声がした。その男が先に立って、どしどし階子を下りて来た。藍子は、二畳の敷居へはみ出していた座布団を体ごと引っぱって、顔を店の方へ向け・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・「いずれまた伺います。何分宜しく。」「さようなら。」「さようなら。」 微笑の影が木村の顔を掠めて過ぎた。そしてあの用箪笥の上から、当分脚本は降りないのだと、心の中で思った。昔の木村なら、「あれはもう見ない事にしました」なんぞと云・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・……」「ええ。」「私たちは出来るだけのことをやったのですが。……何分……」「どうも、いろいろ御迷惑をおかけしまして、」「いや……それから、もし御親戚の方々をお呼びなさいますなら、一時にどっと来られませんように。」「承知し・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫