・・・その屋根には静岡何某小学校と大きく書いてある。その下に小さな子供が二、三十人も集まって大人しく坐っている。その前に据えた机の上にのせたポータブルの蓄音機から何かは知らないが童謡らしいメロディーが陽気に流れ出している。若い婦人で小学校の先生ら・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・きょう子供の贈物にする人形の着物をほとんど一手で縫うたシュエスター何某が、病気で欠席されたのは遺憾でありますというような挨拶もありました。この挨拶が済むと、監督の尼さんが音頭をとって、子供の唱歌が始まり、それから正面の壇へ大きい子供がかわる・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・先生が教場へはいってみるとそこにはたった一人、まじめで勉強家で有名な何某一人のほかにはだれもいなかった。その翌日になると一同で物理の講堂へ呼び出されて、当然の譴責を受けなければならなかった。その時の先生の悲痛な真剣な顔を今でもありあり思い出・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・今度文学士何某という人が蓄音機を携えて来県し、きょう午後講堂でその実験と説明をするから生徒一同集合せよというのであった。これはたしかに単調で重苦しい学校の空気をかき乱して、どこかのすきまから新鮮な風が不時に吹き込んで来たようなものであった。・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・そうして何の何某が何日にどこでこれに遭遇するかを予言する事はいかなる科学者にも永久に不可能である。これをなしうるものは「神様」だけである。「鸚鵡石」という不思議な現象の記事を、ゆうけんしょうろく、提醒紀談、笈埃随筆等で散見す・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・続いてN国領事のバロン何某と中年のスカンジナビア婦人が二人と駆けつけて来た。婦人たちがわりに気丈でぎょうさんらしく騒がないのに感心した。 室の片すみのデスクの上に論文の草稿のようなものが積み上げてある。ここで毎日こうして次の論文の原稿を・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・兄弟分が御世話になりますからとの口上を述べに何某が鹿爪らしい顔で長屋を廻ったりした。すると長屋一同から返礼に、大皿に寿司を遣した。唐紙を買って来て寄せ書きをやる。阿久の三味線で何某が落人を語り、阿久は清心を語った。銘々の隠芸も出て十一時まで・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・何番地何某」と、姓だけしか書いてない紙が板塀や電信柱に貼られている。そこに、和服裁縫の内職という仕事にからみついている独特な雰囲気がある。 この節のようなインフレーションでどの家でも貯金もなくなり、子供に一本の飴でも食べさせたいため、ま・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・ 製造所の創立第二十五年記念の宴会が紅葉館で開かれた。何某の講談は塩原多助一代記の一節で、その跡に時代な好みの紅葉狩と世話に賑やかな日本一と、ここの女中達の踊が二組あった。それから饗応があった。 三間打ち抜いて、ぎっしり客を詰め込ん・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・また恙の虫の事語りていわく、博士なにがしは或るとき見に来しが何のしいだしたることもなかりき、かかることは処の医こそ熟く知りたれ。何某という軍医、恙の虫の論に図など添えて県庁にたてまつりしが、こはところの医のを剽窃したるなり云々。かかることし・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫