・・・ 自分は握手して、黙礼して、此不幸なる青年紳士と別れた、日は既に落ちて余光華かに夕の雲を染め、顧れば我運命論者は淋しき砂山の頂に立って沖を遙に眺て居た。 其後自分は此男に遇ないのである。・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・車を下りし時は霧雨やみて珍しくも西の空少しく雲ほころび蒼空の一線なお落日の余光をのこせり。この遠く幽かなる空色は夏のすでに近きを示すがごとく思われぬ。されど空気は重く湿り、茂り合う葉桜の陰を忍びにかよう風の音は秋に異ならず、木立ちの夕闇は頭・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・西の空は夕日の余光が水のように冴えて、山々は薄墨の色にぼけ、蒼い煙が谷や森の裾に浮いています、なんだかうら悲しくなりました。寺の鐘までがいつもとは違うように聞え、その長く曳く音が谷々を渡って遠く消えてゆくのを聞きましたら、急に母が恋しくなっ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・その士気の凜然として、私に屈せず公に枉げず、私徳私権、公徳公権、内に脩まりて外に発し、内国の秩序、斉然巍然として、その余光を四方に燿かすも決して偶然にあらず。我輩は、我が政治社会の徳義をして先ず英国の如くならしめ、然る後に実際の政事政談に及・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・そして朝から晩まで、一重に物懶く引延ばした雲の彼方から僅かに余光を洩す太陽の下に、まるで陰翳と云うものの無い万物を見るのは淋しゅうございます。五月の末に此方に来た時は、紫紅色の房々としたライラックがまだ蕾勝ちで、素朴な林檎の花盛りでございま・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・外の部屋は落付きとか感興とかで、却って、隅々のほの暗いことも、或る時は快よいでしょうが、昔の日本の台所のように茶の間からの余光でさぐりさぐり流元をするようでは恐ろしい。 台所は、すべての婦人の問題となっている丈、近頃は、随分、健康に・・・ 宮本百合子 「書斎を中心にした家」
・・・ 頂に固く凍った雪の面は、太陽にまともから照らされて、眩ゆい銀色に輝きわたり、ややうすれた燻し銀の中腹から深い紺碧の山麓へとその余光を漂わせている。 遠目には見得ようもない地の襞、灌木の茂みに従って、同じ紺碧の色も、或るところはやや・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫