・・・私が両膝をそろえて、きちんと坐り、火鉢から余程はなれて震えていると、「なんだ。おまえは、大臣の前にでも坐っているつもりなのか。」と言って、機嫌が悪い。 あまり卑下していても、いけないのである。それでは、と膝を崩して、やや顔を上げ、少・・・ 太宰治 「一燈」
・・・おれはこの出来事のために余程興奮して来たので、議会に行くことはよしにした。ぶらぶら散歩して、三十分もたってから、ちょうど歩いていたスプレエ川の岸から、例の包を川へ投げた。あたりを見廻しても人っ子一人いない。 晩までは安心して所々をぶらつ・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・其頃になってからは瞽女の風俗も余程変って来て居た。幾らか綺麗な若いものは三味線よりも月琴を持って流行唄をうたって歩いた。そうして目明が多くなった。お石は来なかった。それっきり来なくなったのである。太十は落胆した。迷惑したのは家族のものであっ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・もっとも書き初めた時と、終る時分とは余程考が違って居た。文体なども人を真似るのがいやだったから、あんな風にやって見たに過ぎない。 何しろそんな風で今日迄やって来たのだが、以上を綜合して考えると、私は何事に対しても積極的でないから、考えて・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・左れば此一節は女大学記者も余程勘弁して末段に筆を足し、婦人の心正しければ子なくとも去るに及ばずと記したるは、流石に此離縁法の無理なるを自覚したることならん。又妾に子あらば妻に子なくとも去るに及ばずとは、元来余計な文句にして、何の為めに記した・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・話は少し以前に遡るが、私は帝国主義の感化を受けたと同時に、儒教の感化をも余程蒙った。だから一方に於ては、孔子の実践躬行という思想がなかなか深く頭に入っている。……いわばまあ、上っ面の浮かれに過ぎないのだけれど、兎に角上っ面で熱心になっていた・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・楢夫は余程撲ってやろうと思いましたが、あんまりみんな小さいので、じつと我慢をして居ました。 みんなは縛ってしまうと、互に手をとりあって、きゃっきゃっと笑いました。 大将が、向うで、腹をかかえて笑いながら、剣をかざして、「胴上げい・・・ 宮沢賢治 「さるのこしかけ」
・・・ 彼女のむきな調子には何か涙が滲む程切迫つまったところがあった。余程急に出立でもしなければならないのか、又はその転地が夫婦にとって余程の大事件であるか、何方にしろ只ごとではないと思わせた動顛と苦しさとが彼女の全身に漲っていたのである。・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ 洋行すると云うことになってから、余程元気附いて来た秀麿が、途中からよこした手紙も、ベルリンに著いてからのも、総ての周囲の物に興味を持っていて書いたものらしく見えた。印度の港で魚のように波の底に潜って、銀銭を拾う黒ん坊の子供の事や、ポル・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・すると、どちらも同じように、病人が最早や自分達と余程離れた不思議な遠い世界にいることを感じて恐ろしくなって来た。が直ぐその後で、お霜は病人が紙幣を自分に預ってくれと頼んだとき、預っておけば好かったと思って後悔した。だが、お留は、安次に与えよ・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫