・・・と枝折戸でいう一種綿々たる余韻の松風に伝う挨拶は、不思議に嫋々として、客は青柳に引戻さるる思がする。なお一段と余情のあるのは、日が暮れると、竹の柄の小提灯で、松の中の径を送出すのだそうである。小褄の色が露に辷って、こぼれ松葉へ映るのは、どん・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・彼の最後の消息がこの可憐な、忠実な動物へのいつくしみの表示をもって終わっているのも余韻嫋々としている。彼の生涯はあくまで詩であった。「みちのほど、べち事候はで池上までつきて候。みちの間、山と申し、河と申し、そこばく大事にて候ひけるを、公・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・そしてその余韻をきいてみた。するときゅうに大きく「ばかッ」と怒鳴りたくなった。 女は無表情な顔をして酒を持って入ってきた。口の欠けた銚子が二本と章魚の酢ものと魚の煮たものだった。すぐあとから別な背の低い唇の厚い女が火を持ってきた。が、火・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・そしてその余韻は、その人の生活をいくぶんでも浄化するだけの力をもっている。こういう美しいものを見たときと見なかった時とで、その後に来る吾人の経験には何らのちがった反響がない訳にはゆかない。 展覧会で童女像を見た事と壷のアドヴェンチュ・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・とちょうど雷鳴の反響のような余韻が二三秒ぐらい続き次第に減衰しながら南の山すそのほうに消えて行った。大砲の音やガス容器の爆発の音などとは全くちがった種類の音で、しいて似よった音をさがせば、「はっぱ」すなわちダイナマイトで岩山を破砕する音がそ・・・ 寺田寅彦 「小爆発二件」
・・・ 盆踊りという言葉にはイディルリックなそしてセンシュアスな余韻がある。しかしそれはどうしても現代のものではない。その余韻の源にさかのぼって行くと徳川時代などを突き抜けて遠い遠い古事記などの時代に到着する。 盆踊りのまだ行なわれている・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・このように恐ろしい地殻活動の現象はしかし過去において日本の複雑な景観の美を造り上げる原動力となった大規模の地変のかすかな余韻であることを考えると、われわれは現在の大地のおりおりの動揺を特別な目で見直すこともできはしないかと思われる。 同・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
子供の時分から「丸善」という名前は一種特別な余韻をもって自分の耳に響いたものである。田舎の小都会の小さな書店には気のきいた洋書などはもとよりなかった、何か少し特別な書物でもほしいと言うと番頭はさっそく丸善へ注文してやります・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・そうしてその後につづく秋季結びが裏へその余韻を送るのである。かくしていよいよ最後の花の座が、あたかも静寂な暮れ方の空をいろどる夕ばえのごとき明るくはなやかなさびしさをもって全巻のカデンツァをかなでることになっているのである。 以上のごと・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・そして、その最後の余韻が吉原の遊里において殊に著しく聴取せられた事をここに語ればよいのである。 遊里の存亡と公娼の興廃の如きはこれを論ずるに及ばない。ギリシャ古典の芸術を尊むがために、誰か今日、時代の復古を夢見るものがあろう。甲戌十・・・ 永井荷風 「里の今昔」
出典:青空文庫