・・・もっとも威厳を保つ所以は借りた金を返すよりほかに存在しないと云う訣ではない。もし粟野さんも芸術を、――少くとも文芸を愛したとすれば、作家堀川保吉は一篇の傑作を著わすことに威厳を保とうと試みたであろう。もしまた粟野さんも我々のように一介の語学・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・適度に感ずる時は爽快であり、且又健康を保つ上には何びとにも絶対に必要である。 ユウトピア 完全なるユウトピアの生れない所以は大体下の通りである。――人間性そのものを変えないとすれば、完全なるユウトピアの生まれる筈はない。・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・は、思うに将軍家を始めとして大名小名は勿論苟も相当の身分あるもの挙げて、茶事に遊ぶの風を奨励されたのが、大なる原因をなしたに相違ない、勿論それに伴う弊害もあったろうけれど、所謂侍なるものが品位を平時に保つを得た、有力な方便たりしは疑を要せぬ・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・といった具合で、私がもうこれでお仕舞いですかと訊ねますと、まだ一日位は保つだろうと言うのでした。然し、医師を見送って行った者に向っては「あと二時間」とハッキリ宣告したとの事です。危い処で私は病人の死を知らずにいる処でした。 やがて、一同・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ 私が来た十九の時でした、城北大学といえば今では天下を三分してその一を保つとでも言いそうな勢いで、校舎も立派になり、その周囲の田も畑もいつしか町にまでなってしまいましたがいわゆる、「あの時分」です、それこそ今のおかたには想像にも及ばぬこ・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・母の秘密を保つ身は自分自身の秘密に立籠らねばならなくなった。「まアどうして?」と妻のうれしそうに問のを苦笑で受けて、手軽く、「能く事わけを話したら渡した」とのみ。妻は猶おその様子まで詳しく聴きたかったらしいが自分の進まぬ風を見て、別・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・そしてそれには童貞をなるだけ長く保つべきだ。 しかし何かの運命でそれをすでに失ってしまったものはやむを得ない。そのひびの薄れるように、そのまわりに結締組織のできるように修養すべきだ。傷をいやすレーテの川、忘却というものも自然のたまものだ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・少なくともかなりな程度の健康を保つことを常に心掛けなくてはならない。それには、一、十一時以後は必ず夜更かしせぬこと。二、寝床のなかで物を考えぬこと。この二つだけ守ればどんなに勉強してもそれほど弱くはならない。これだけは守らねばならぬ。・・・ 倉田百三 「芸術上の心得」
・・・イトメは水を保つに足るものの中に入れて置かねば面白くないのである。 やっぱり小父さんが先刻話したようにした方が宜い。明日また小父さんに遇ったら、小父さんその時に少しおくれ。といって残り惜しそうに餌を見た彼の素直な、そして賢い態度と分・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・世渡りの秘訣 節度を保つこと。節度を保つこと。緑雨 保田君曰く、「このごろ緑雨を読んでいます。」緑雨かつて自らを正直正太夫と称せしことあり。保田君。この果敢なる勇気にひかれたるか。ふたたび書簡のこと・・・ 太宰治 「もの思う葦」
出典:青空文庫