・・・れは文学上の美感が単に感情の上に立って居って決して理窟を入れないという所から、信仰というものも少し方角は違うがやはりそんなのであるまいかと、推し及ぼしただけの話しであって、今にまだ耶蘇教とか仏教とかの信者になる事は出来ない。それならば哲学上・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
私は昨年九月四日、ニュウファウンドランド島の小さな山村、ヒルテイで行われた、ビジテリアン大祭に、日本の信者一同を代表して列席して参りました。 全体、私たちビジテリアンというのは、ご存知の方も多いでしょうが、実は動物質の・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 作者が独立教会からも脱退し、キリスト教信者の生活、習俗に対して深い反撥を感じていた時、「或る女」が着想されたことは私どもにとって興味がある。作者は葉子を環境の犠牲と観た。日清戦争の日本に於けるブルジョア文化の一形態であったキリスト教婦・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・日本ではキリスト信者が戦争を阻止しなかった事実によってゆらいでいるのである。今日、聖母マリアの信仰を美しい言葉で語る人がいる。しかし現代の世紀にピエタのマリアでないほかのマリアがどこの世界にあり得るだろうか。ピエタのマリアを死と破壊の肯定者・・・ 宮本百合子 「生きつつある自意識」
・・・青森の大金持の男、信者、娘一人、後とりの後見もして欲しいから学問があって、人物の出来た人、 そこで、結婚ブローカーがあって、「それじゃいい人がありますっていうんですね、司教の息子それじゃ立派なもんだろうって云うんで先は承諾。親父は職・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ 熱心な信者が聖母の御像を拝するだけで自らの行手に輝く光明を見出すと同じに、私はこの美によってすべての事を感じ思わされるのである。 私はこの美にふれた時に我からはなれた我の中に生き、幼子の様なすなおな気持になる事が出来るのだ。 ・・・ 宮本百合子 「繊細な美の観賞と云う事について」
・・・「いいえ。信者が多くて人気のいい土地ですが、国守の掟だからしかたがありません。もうあそこに」と言いさして、女は今来た道を指さした。「もうあそこに見えていますが、あの橋までおいでなさると高札が立っています。それにくわしく書いてあるそうですが、・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・ 女主人公は観音の熱心な信者である一人の美しい女御である。宮廷には千人の女御、七人の后が国王に侍していたが、右の女御はその中から選び出されて、みかどの寵愛を一身に集め、ついに太子を身ごもるに至った。そのゆえにまたこの女御は、后たち九百九・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・処女懐胎は狂信者の幻想に過ぎぬ。神の子の信仰は象徴的の意味においてさえも形而上学的空想以上の何ものでもない。世界は確かに古昔の元子論者が見たごとくある基本要素の離合散集によって生じたのである。霊魂は肉体の作用であり肉体とともに滅びる。死とは・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・またたとえ、本来の芸術家であるにしても、その製作欲が熟するためには、必ず僧侶になるかあるいは熱烈な信者であらねばならなかった。ここに偶像礼拝と密接に相関する芸術製作の特異な例があるのである。芸術鑑賞がその根源を製作者の内生に発するごとく、偶・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫