・・・二種の流俗が入り交った現代の日本に処するには、――近藤君もしっかりと金剛座上に尻を据えて、死身に修業をしなければなるまい。 近藤君に始めて会ったのは、丁度去年の今頃である。君はその時神経衰弱とか号して甚意気が昂らなかった。が、殆丸太のよ・・・ 芥川竜之介 「近藤浩一路氏」
・・・ 武者修業 わたしは従来武者修業とは四方の剣客と手合せをし、武技を磨くものだと思っていた。が、今になって見ると、実は己ほど強いものの余り天下にいないことを発見する為にするものだった。――宮本武蔵伝読後。 ユウ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・とばかりで、この武者修業の、足の遅さ。 三晩目に、漸とこさと山の麓へ着いたばかり。 織次は、小児心にも朝から気になって、蚊帳の中でも髣髴と蚊燻しの煙が来るから、続けてその翌晩も聞きに行って、汚い弟子が古浴衣の膝切な奴を、胸の処でだら・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・しかる処へ、奥方連のお乗込みは、これは学問修業より、槍先の功名、と称えて可い、とこう云うてな。この間に、おりく茶を運ぶ、がぶりとのむ。 はッはッはッはッ。撫子弱っている。村越 いや、召使い……なんですよ。・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・ とにかく去年から今年へかけての、種々の遭遇によって、僕はおおいに自分の修業未熟ということを心づかせられた。これによって君が僕をいままでわからずにおった幾部分かを解してくれれば満足である。・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・昔から、その島へいってみたいばかりに、神に願をかけて貝となったり、三年の間海の中で修業をして、さらに白鳥となったり、それまでにして、この島に憧れて飛んでゆくのであった。白い鳥は、その島にゆくと、花の咲いている野原の上で舞うのである。またある・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・山にいて、いろいろほかの人間のできないことを修業しました。ほんとうに、みなさんが赤い鳥が呼んでほしいならば、どうか、私に、今夜泊まるだけの金をください。私は、すぐに呼んでみせましょう。」といいました。 群衆の中には、酒に酔った男がいまし・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・の文章をお経の文句のように筆写して、記憶しているという人が随分いるらしく、若杉慧氏などは文学修業時代に「暗夜行路」を二回も筆写し、真冬に午前四時に起き、素足で火鉢もない部屋で小説を書くということであり、このような斎戒沐浴的文学修業は人を感激・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・そうしてこれがいちばん大阪的であると私が思うのは、これらの文楽の芸人たちがその血の出るような修業振りによっても、また文楽以外に何の関心も興味も持たずに阿呆と思えるほど一途の道をこつこつ歩いて行くその生活態度によっても、大阪に指折り数えるほど・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ 源信僧都の母は、僧都がまだ年若い修業中、経を宮中に講じ、賞与の布帛を賜ったので、その名誉を母に伝えて喜ばそうと、使に持たせて当麻の里の母の許に遣わしたところ、母はそのまま押し返して、厳しい、諫めの手紙を与えた。「山に登らせたまひし・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
出典:青空文庫