・・・唯、利益、存在の意義の軽重によって、それが予期したより十年前に自ら倒れるか、十年後に倒れるかである。またオリヂナルの方が早く自然に滅亡するか、イミテーションの方が先に滅亡するかであって、大した違いはない。片方だけを悪いとは決して言わない。両・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・今、ちょっとしたはずみで一人が倒れる。そして構成された調和が破れ、町全体が混乱の中に陥入ってしまう。 私は悪夢の中で夢を意識し、目ざめようとして努力しながら、必死にもがいている人のように、おそろしい予感の中で焦燥した。空は透明に青く澄ん・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・が、幸いにして彼は腹這っていたから、それ以上に倒れることはなかった。 が、彼は叫ぶまいとして、いきなり地面に口を押しつけた。土にはまるでそれが腐屍ででもあるように、臭気があるように感じた。彼はどうして、寄宿舎に帰ったか自分でも知らなかっ・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ 呆れ顔をしてじッと見ていた小万の前に、吉里は倒れるように坐ッた。 吉里は蒼い顔をして、そのくせ目を坐えて、にッこりと小万へ笑いかけた。「小万さん。私しゃね、大変御無沙汰しッちまッて、済まない、済まない、ほんーとうに済まないんだ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐るときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけな・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・にわかにくっきり白いその羽根は前の方へ倒れるようになりインデアンはぴたっと立ちどまってすばやく弓を空にひきました。そこから一羽の鶴がふらふらと落ちて来てまた走り出したインデアンの大きくひろげた両手に落ちこみました。インデアンはうれしそうに立・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 第一、今の今まで女王だとか、お前のおかげだとか、わいわい騒いでいた者達が、話せ話せと云って身の上話をさせながら、話し手が我と泣き倒れる程血の出るような事実を語っているのに、歎声一つ発しない冷淡さが事実あるだろうか。 自分達が云うだ・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・一方からいうと、生活が苦るしく、疲れ、倒れるもののある位、当然であり、大きい目で見、謙譲に考えて、やむを得ない事であると感じます。一人として、過度な緊張からくる一種の疲労を感じないもののない程、我々人間は、人間の小細工でこしらえすぎた過去の・・・ 宮本百合子 「男…は疲れている」
・・・立てた物は倒れることがある。倒れれば刀が傷む。壁にも痍が附くかも知れないというのである。 床の間の前には、子供が手習に使うような机が据えてある。その前に毛布が畳んで敷いてある。石田は夏衣袴のままで毛布の上に胡坐を掻いた。そこへ勝手から婆・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・と、また二人は安次の上へどっと倒れると、血に濡れながら死体の上で蹴り合い出した。 横光利一 「南北」
出典:青空文庫