・・・形而上学者としてのニイチェ、倫理学者としてのニイチェ、文明批判家としてのニイチェには、僕として追跡することが出来なかつた。換言すれば、僕は権力主義者でもなく、英雄主義者でもなく、況んやツァラトストラの弟子でもない。僕は「心理学」と「文学」だ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・然るに、徳教書編纂の事は、先年も文部省に発起して、すでに故森大臣の時に倫理教科書を草し、その草案を福沢先生に示して批評を乞いしに、その節、先生より大臣に贈りたる書翰ならびに評論一編あり。久しく世人の知らざるところなりしかども、今日また徳教論・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・ある一派の倫理学者の如く行為の結果を以て善悪の標準とする者はお七を大悪人とも呼ぶであろう。この、無垢清浄、玉のようなお七を大悪人と呼ぶ馬鹿もあるであろう。けれどお七の心の中には賢もなく愚もなく善もなく悪もなく人間もなく世間もなく天地万象もな・・・ 正岡子規 「恋」
・・・勿論今日の人間社会で善には善報ありというような事は全く嘘ではないので、それも因果の一部には相違ないけれども、宇宙に行われて居る因果の道理は単に倫理の上を支配するような簡単なるものではないので、一方には倫理上から或人に幸を与えるような因果の筋・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ 真実を儚かない態度とか、同情、愛というような私たち人間の感情を、古風な学問の範疇では道徳、倫理の枠に入れて考えて、科学とそういうものとは別々に云いもし、教えもしていた。仮に二つのものを一つに結び合わして考えたい心持のひとは、二つに分け・・・ 宮本百合子 「科学の精神を」
・・・ 従って、既成の倫理学の概念や習俗の力は、いざという時、どれ程の力を持っているのかは疑います。これ等はただ、その人の内奥にある人格的な天質がそれ自身で見出すべき道に暗示を与え、自身の判断を待つ場合、思考の内容を豊富にするという点にのみ価・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・その無いものを有るかのように考えなくては、倫理は成り立たない。理想と云っているものはそれだ。法律の自由意志と云うものの存在しないのも、疾っくに分かっている。しかし自由意志があるかのように考えなくては、刑法が全部無意味になる。どんな哲学者も、・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・そしてそれが倫理を変化させる。形而上学を変化させる。Schopenhauer は衝動哲学と云っても好い。系統家の Hartmann や Wundt があれから出たように、Aphorismen で書く Nietzsche もあれから出た。発展・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・こうもりが光を恐れるように倫理的な苦しみを恐れる。それゆえに、「一生を旅行で暮らすような」彼は、「生の流転をはかなむ心持ちに纏絡する煩わしい感情から脱したい、乃至時々それから避けて休みたい、ある土台を得たい」という心を起こすのである。そうし・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
・・・五 自然をただ醜悪に観察して喜んでいた作家たちが、近ごろ何となく認識論的な、あるいは倫理学的な思想を、その作品中に混ずるに至ったことは、新しい時代が彼らに及ぼした影響としてかなり我々の興味をひく。しかし彼らは、彼ら自身の思索・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫